1日1食(たまに0食)、気まぐれ断食男のブログ

日々食事は1日1食で、たまに0食という変わり者のブログです。思ったことを日々気まぐれに書いていきます。

クリスマスにサンタが かましてくれたナイスボケ

 

先日書いた記事で、

子供の頃は毎年クリスマスの日に

サンタクロース(実は父)から

プレゼントが届いていた、

という思い出を書いたけど、

それでまた思い出したことがある。

 

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毎年事前にサンタクロースに

何が欲しいか注文してから

プレゼントが届くので、

ちゃんと自分の欲しい物が届くから

ほんとに嬉しくて、

僕の記憶に強く残っている。

 

その中で、違う意味で

記憶に強く残っているプレゼントがある。

 

 

 

あれはたしか小学校低学年の時のクリスマス。

 

この頃、とある友達の家に遊びに行った時に、

手錠のおもちゃが置いてあった。

 

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そのおもちゃは、

ステンレス製?の手錠のおもちゃで、

おもちゃといえども

それなりにズッシリ重たくて、

本物の警官になったつもりで警察ごっこ

じゅうぶんできるような代物だった。

 

当時幼かった僕は

そんなピカピカの銀色に光る手錠に

すっかり魅了されて、

僕もその手錠のおもちゃが欲しくなった。

 

ちょうどその頃にタイミングよく

クリスマスが近づいていて、

例の毎年恒例のサンタクロースに

プレゼントを注文する時が来た。

 

 

僕は、迷わず

 

「手錠が欲しい」

 

 と、母に伝えた。

 

 

すると「わかったー、伝えとくよー」と、

母は返事をした。

 

 

僕はプレゼントが届くクリスマスを

心待ちにした。

 

 

そしてクリスマスの日、12月25日の朝。

 

枕元を見ると、

ちゃんとプレゼントが届いていた。

 

 

もう嬉しくてすぐに顔がほころんだ。

 

すぐさまリボンの付いた

クリスマス柄の包装紙に包まれた

プレゼントに手を伸ばすと、

 

 

 

??? 「ん?」 

 

 

 

僕は少し違和感を覚えた。

 

 

なんだかやけに軽いぞ??

 

 

あの友達の家にあった手錠は、

けっこうズッシリとした重さがあった。

 

しかし、このプレゼントは

持った瞬間に明らかに軽いことがわかった。

 

 

僕は慌てて包みを開けてみた。

 

 

 

 

中から出てきたのは

 

 

 

 

 

なんと

 

 

 

 

 

 

こういうものだった。

 

 

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こ、これは・・・・

 

 

 

 

 

手帳・・・・

 

 

 

 

僕が注文したのは・・・

 

 

手錠・・・

 

 

 

 

これは・・・

 

 

手帳・・・

 

 

 

 

 

「えぇーーー!!うそだろー!!」

 

 

 

 

 

注文したのは

 

 

テ・ジョ・ウ

 

 

 

 

これは

 

 

 

テ・チョ・ウ

 

 

 

 

 

 

 

ガビーーン!!!

 

 

 

 

僕は幼いながらに思いっきりズッコケた

 

 

 

なんと手錠と手帳を勘違いされたようだ・・

 

 

これは注文を聞いた母が勘違いしたのか

注文を聞いたサンタ(父)

勘違いしたのかはわからないが、

最高の大ボケをかましてくれた。

 

 

でも僕は間違っている事を何も言わなかった。

 

というのも、この当時は少しでも

プレゼントに対して文句を言うと、

次の年からサンタクロースは

来てくれなくなるのではないか

と、思っていたからだ。

 

だからプレゼントが違っていたことよりも

来年以降プレゼントが

貰えなくなるほうが嫌だったので、

結局黙っていた。

 

 

それにしてもクリスマスの記憶を

より強烈なものにしてくれたこの出来事。

 

後年両親にこの事を話そうと思ったけど、

まぁ両親も悪気があってやったわけでは

なかったから、やっぱり黙ってて、

このことは僕の記憶の中だけに

とどめておくことにした。

 

 

今となっては思い出しても笑えるナイスボケ

 

これもまた貴重な思い出として残っている

僕の大事な財産だ。

東京健康ランドを思い出す、ワム!のラストクリスマス

 

街ではクリスマス一色で、

そこら中でクリスマス関連の曲が流れている。

 

僕は昔ながらの

きよしこの夜とかジングルベルとか、

サンタが街にやってくる、などを聴くと

より一層クリスマスだなぁ

という感じがしてくる。

 

クリスマスソングの中でも有名な

ワム!ラストクリスマス

よく街やテレビで流れることが多いけど、

僕はこのラストクリスマスを聴くと、

クリスマスというよりも

別の事が頭に浮かんでくる。

 

 

 

それは

 

 

 

 

江戸川区船堀の

東京健康ランド(現まねきの湯)だ。

 

 

これはなぜかと言うと、

僕の家族は僕が子供の頃には

頻繁に東京健康ランドに行っていた。

 

館内でお風呂に入ったり、食事をしたり、

映画を観ながら寝たり、ゲームをやったりと、

東京健康ランドの思い出はたくさんある。

 

その中で、その当時の東京健康ランド

ゲームコーナーに、

UFOキャッチャーが置いてあった。

 

そしてそのUFOキャッチャーからは

いつも曲が流れていた。

 

その時に流れていた曲が

ラストクリスマスなのだ。

 

 

いつもゲームコーナーで

他のゲームをやっていても、

そのUFOキャッチャーから

常にラストクリスマスが聞こえてきて、

自然と頭にインプットされているようだ。

 

特にあの当時は

頻繁に東京健康ランドに行っていたため、

かなり頻繁にあの曲が耳に入っていたのだ。

 

特にあの曲の間奏の時の、あのメロディーが

特別強烈に耳に残っている。

 

 

当時はこの曲の曲名は知らなかったが、

曲名がわかったのは、中学2年の時、

この当時、英語の授業では、

先生が授業の最初に英語の歌のCDを

生徒に聞かせる、ということをやっていた。

月毎に新しい曲を聴かせてくれるのだけれど、

12月はクリスマスの時期ということで、

その英語の授業の時に聴く曲は

ラストクリスマスだった。

 

僕は学校でこの曲を聴いてすぐに

健康ランドのUFOキャッチャーで

流れてたあの曲だ!」と、わかった。

 

そこで初めて、あの曲は

ラストクリスマスという歌だったのか、

と、知る事となった。

 

それからはいつも英語の授業で

ラストクリスマスを聴くたびに

僕は頭の中が健康ランドでいっぱいになった。

 

特にゲームコーナーが浮かんで来る。

 

これは今でも同じで、

今でもラストクリスマスを聴くと

あの当時の東京健康ランド

頭に浮かんで来る。

 

もう長年そう頭に刷り込まれているのか、

僕にとってはラストクリスマス

クリスマスソングではなく、

東京健康ランドソング

となってしまっているのだ。

小学生の頃の年末恒例 餅つき大会

 

今年もコロナの影響で、各種イベントが

自粛で中止になっているようで、

世間では、この時期でも

イベントはあまり行われていないみたいだ。

 

コロナもだいぶ落ち着いてきているとはいえ、

まだまだ自粛モードは

そんなに緩和されていないようだ。

 

本来ならこの時期は僕の家の近所でも

町内会の餅つき大会があるはずなのだが、

今年はやはり中止らしい。

 

 

年末になると、各地で

餅つき大会が行われることが多いみたいで、

僕の家の近所でもやっている町会は多かった。

 

それと同時に小学生の頃は

学校でも餅つき大会が行われていた。

 

全校で体育館で餅つきをして、

お餅を食べる、

という文字通りのイベントだ。

 

先生方や、PTAの方々が協力して、

もち米を用意して、餅をつく。

 

そして児童たちも、子供用の杵を使って

一人5回ずつ、餅をつく。

 

そしてつきあがった餅は、

あんこ、きな粉、大根おろし、納豆、

の4種類から好きな味付けを選べて、

お代わりは自由というルールだ。

 

体育館でその年の全校遠足の時の班、

具体的に言うと、

全校遠足では各学年の児童が

3人ずつ班に3学年、つまり9人で1班、

というグループ分けがあった。

 

その班ごとに固まってお餅を食べる。

 

 

僕は甘いのが大好きなため、

食べるお餅は、

もっぱらあんこ餅ときな粉餅だった。

 

 

このつきたてのお餅が

家で食べる餅とは違って、柔らかく、

もっちもちで大好きだった。

 

これはやはり市販の切り餅では

出せない食感かな。

 

 

この餅つき大会は

毎年行われるのは土曜日だったため、

午前中、といっても実際食べるのは

お昼にもう近い時間だったため、

これがお昼ご飯代わりだと

僕は毎年決めていた。

 

だから僕は何度もお餅をお代わりして、

たくさん食べた。

 

楽しかったし、美味しかったなぁ。

 

いまはつきたて餅なんて

食べる機会がないから、あの時が懐かしい。

 

僕の家の町内では餅つき大会はやってないし、

まったく関係ない町内の餅つき大会に

食べに行くのもさすがに躊躇してしまう。

 

そもそも今はコロナで

そんなイベントもことごとく中止だろう。

 

でもいつかまた

つきたてのお餅を食べてみたい。

 

やっぱりその時は

あんこときな粉を付けたお餅がいいなぁ。

至高! 金の豚角煮

 

先日、以前から食べてみたかった

セブンイレブンの金のシリーズの商品、

金の豚角煮を食べた。

 

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金のシリーズは

金の直火焼ハンバーグ

金のビーフシチューを食べてみて

とても美味しかったので、

すっかり金のシリーズの

ファンになってしまった僕は、

次はその金のシリーズの商品である

金の豚角煮を食べてみたいと

ずっと思っていた。

 

 

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そもそも僕は肉の脂身が大好きだ。

 

だから豚の角煮はもともと大好き。

 

だから金のシリーズの豚角煮とくれば、

きっと美味しいんだろうなぁと、

ハンバーグとビーフシチューの件で

僕の中での期待値は、すでに

かなりのものになっていた。

 

といっても1日1食で、

1日に1回しか食事のチャンスがないから、

当然食べたい物は他にも山ほどあるので、

なかなか豚角煮の順番がまわってこなかった。

 

だけどついに先日、金の豚角煮を食べた。

 

 

セブンイレブンに行き、

金の豚角煮を2袋購入。

ビーフシチューの時に

1袋で物足りなかったので、

念のため2袋購入。

 

1袋税別368円。

 

 

 

さあさっそく温めて食べよう。

 

 

 

一応様子見のつもりで

まず1袋だけ開けてレンジで温める。

 

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美味しそう。

 

 

さっそくいただきます。

 

 

 

 

 

 

やわらか~い!!

 

 

 

これはうまい!!

 

 

 

これは最高!

 

 

 

肉の部分はめちゃくちゃ柔らかいし、

僕の大好きな脂身部分は

トロットロでとろけそうだ・・

 

 

もちろん白米が進む進む。

 

 

僕は夢中でむさぼりつき、

すぐさまもう一袋も開けてレンジで温めた。

 

 

 

これはすごい。

もちろんその人その人の

好みの問題もあるだろうけど、

僕はこの豚角煮が

金のシリーズで一番だと思った。

 

このタレも甘めでご飯に合うし、

最高の味付けだ。

 

 

あっという間に2袋分食べ終えて、

まださらにもっと食べたかったが、

とにかく美味しくて大満足した。

 

 

これは言うまでもなくリピート決定。

 

 

やはり金のシリーズは凄い、

さすがセブン、たいしたもんだ。

 

他にも金のシリーズの商品は色々あるけど、

この調子ならきっと美味しいのだろう。

 

そう思うと他の商品も

また気になってきてしまった。

 

だけど今回の豚角煮が美味すぎて、

またすぐにでもこれがまた食べたい。

 

 

今度は3袋でもいいかもしれない。

 

そうなると税抜きでも

1000円をゆうにこえてしまうから

贅沢な食事になるな(笑)

ドラクエⅥの発売の思い出 後編

 

前回の記事の通り、

僕はドラクエⅥに魅了されて、

ドラクエⅥの発売日に向けて代金を貯金し、

発売をいまかいまかと待ちわびた。

 

特に発売1週間前からの時間は

果てしなく長く感じたが、

それでも1日1日、時が過ぎ、

そして待望の発売日をようやく迎えた。

 

 

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この日は土曜日だったため、

学校は休みだった。

 

僕はさっそくこの日のために

1年ほどかけて準備しておいた

ドラクエ貯金の12000円を握りしめ、

朝のお店のオープンと同時に店に飛び込んだ。

 

 

お店はドラクエの予約ができるためか?

行列ができるとか、

お店に開店前から人が押し寄せるなど

ということはなかった。

 

店に行くと客は僕一人だった。

 

 

さっそく予約表を渡し、ドラクエⅥを購入。

 

念のため貯めた12000円

全部を持ってきたが、

10000円弱の9000円台で買えた。

 

 

 

ついに手に入れた。

 

 

 

最初に少年ジャンプで見た衝撃のあの日から

1年以上はゆうに経過していた。

 

今回のドラクエは、約1年間、

代金を全額貯金して用意したお金で買った

ということで、その事に対する達成感もあり、

なおさら感動があった。

 

 

僕はその感情で高ぶったテンションを

落ち着かせるように自分に言い聞かせて、

帰り道で事故などに遭わないように

ゲームソフトを大事に守りながら家に帰った。

 

 

家に着くとさっそく開封する。

 

ピカピカの箱を傷つけないように

慎重に箱を開け、中身を取り出す。

 

表れたソフトにまた感動。

 

いつも以上に丁寧に本体に差し込み、

電源を入れた。

 

 

タイトル画面で、またまた感動し、

主人公の名前を設定してプレイを開始した。

 

 

やはり事前に期待していた通り、

グラフィックなどが前作よりも

大幅に改善されて素晴らしい出来だった。

 

 

僕は夢中でプレイして、

その日は土曜日だったが、

土曜、日曜と学校が連休だったので、

その2日間でかなりの時間プレイしていた。

 

 

そして月曜になって学校に行くと、

学校内で、ドラクエⅥを買った大勢の生徒が、

互いにドラクエの話をしていた。

 

「どこまで行った?」

「レベルは今いくつ?」などなど、

人気ゲームソフト発売直後のよくある風景だ。

 

ちなみに僕は土曜、日曜と休みの2日間で

かなりやり込んだつもりだったが、

やはり上には上がいて、

僕よりも、もっとレベルも高く、

先に進んでいる人が数人いた。

 

中には信じられないくらいのレベルまで

上げている強者もいた。

 

 

 

そしてこの後もドラクエⅥを

クリアまでやり続けたのだが、

このような経緯があって、

ドラクエⅥの発売、12月9日

忘れられない日となったわけである。

 

やはり1年以上も期待していて

待ち遠しいくらい待っていたのと、

自分で長い時間をかけて貯金して買った

ゲームソフトということで

特別印象に残った日となったのだろう。

 

ちなみにこの時買ったドラクエⅥは、

箱ももちろん、中のビニールや説明書も

その後大事に扱い続けて、

現在でも箱、ビニール、説明書が

しっかり残っている。

 

これは僕の所持するソフトの中では

大変珍しいことだ。

 

ファミコンソフトにしろ

スーファミソフトにしろ

その他のソフトにしろ、ほとんど、

箱はまず残っていなくて、

説明書も残っているのは極僅か。

 

だからこんな感じで箱も説明書も、

ましてやビニールまで

26年経った今でも残っているのは、

僕の所持するソフトの中では

このドラクエⅥただ一つだけである。

 

 

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26年経った今でも箱はもちろん、
ビニールや説明書も綺麗に残っているのは、
僕にしては奇跡に近い



それだけ特別な思いがあって

大事にしてきたのだろうと自分でも思う。

 

だからこそ、12月9日といえば、

僕は今でもすぐさまドラクエⅥの発売日が

即座に頭に浮かんで来るほど

僕の人生の中でも特別な日であったのだろう。

ドラクエⅥの発売の思い出 前編

 

昨日は12月9日。

 

12月9日といっても何の日だ?

と思う人がほとんどだと思う。

 

でも僕は個人的に

特別思い入れのある日なのだ。

 

 

12月9日といえば、

僕は今でも忘れられない思い出、

ドラクエの発売の日なのだ。

 

 

僕はドラクエシリーズは大好きだけれど、

その中でゲーム内容でが好きだから

という理由で発売日が

印象に残っているわけではない。

 

内容は別として、このⅥの発売日が、

ドラクエシリーズの発売日の記憶では

一番強く残っているのだ。

 

それは発売日まで色々な事で

待ち遠しくてワクワクしていたからだと

自分では思っている。

 

まずこのドラクエⅥの事を最初に知ったのは、

発売の前年である1994年の

秋くらいだっただろうか、

当時愛読していた

少年ジャンプの広告のページに

新作のドラゴンクエスト

「Ⅵ」がゲーム画面の写真付きで

掲載されていたのを見た時だ。

 

その時に何か僕の中で衝撃が走ったのだ。

 

まず思ったのが、登場人物がかっこいい。

 

特に主人公がかっこよく見えた。

 

当時ドラゴンボールが大好きだった僕は、

ドラゴンボールの作者である

鳥山明先生が手掛ける

ドラクエシリーズのキャラクターが、

ドラゴンボールのキャラクターに

似ていて好きだった。

 

そしてこのドラクエⅥの主人公も、

髪型がスーパーサイヤ人のような感じで、

もの凄くかっこよく見えた。

 

そしてゲーム画面の写真を見ると、

戦闘シーンやフィールドの場面や

町や城の場面のグラフィックが

前作のⅤを大きく上回って、

すごく魅力的に見えた。

 

その広告を見て衝撃を受けた僕は、

もうその時からドラクエⅥに魅了され、

もう今すぐにでも欲しくなった。

 

僕はすぐさま発売日はいつなのか、

発売日の欄を見た。

 

すると発売日は『未定』とされていた。

 

 

未定・・

 

 

なんだ、まだわからないのか・・

 

 

最初に見た情報で一気に魅了されて

テンションが上がっていた僕は

ショックを受けた。

 

冷静に考えれば、まだこの時点では

発売日が未定なのも

仕方ない時期ではあったのだが、

この時はそれがショックに感じるほど

初見で魅了されていたのだ。

 

 

それからは、毎週少年ジャンプを買う度に、

広告欄にドラクエⅥの情報が出ていないか

くまなく確認した。

 

さらにそれだけでは物足りず、

ファミ通やその他ゲーム関連の雑誌を見て、

ドラクエⅥの情報が載っていたら

即効で買うようにしていた。

 

 

そんな感じで、発売が待ち遠しかったが、

時が流れても、相変わらず発売日は

「未定」のままが続き、

なかなか発売日が決定しなかった。

 

僕はといえば、もう絶対に発売日に買おうと

決めていたため、まずは買うための

お金の準備をしようと決めた。

 

 

当時もらっていた月2000円の

お小遣いの中から、

1000円分は毎月ドラクエのために

貯めておくことにした。

 

使いたいと思っても、ドラクエⅥのためだ、

と、固く決意して、絶対に1000円分は

ドラクエⅥのために貯金箱に入れていた。

 

もっと貯金できる時は1000円以上貯金した。

 

 

僕はこれをドラクエ貯金と自分で呼んでいた。

 

 

そしてさらに時が流れ、

少年ジャンプでもゲーム雑誌でも、

ドラクエⅥの情報が以前よりも多く、

しかも精細に掲載されるようになった頃に、

ようやく発売日が掲載された。

 

それは、1995年12月9日だという。

 

 

12月9日か、よし、わかった!

 

すでにドラクエ貯金も

10000円近くまで溜まっていた。

 

でも一応前作のドラクエⅤを

買いに行った時の

近所のゲームショップで、

1万円超えの値段が

付けられていた経験を思い出し、

念のため、12000円まで溜まるように

貯金を続けた。

 

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そして1995年の12月に入り、

ドラクエⅥ発売日まで

あと1週間ほどとなった。

 

この1週間が、

特に当日を意識してしまうためか、

もの凄く長く感じてしまっていた。

 

何というか、時間の経ち方が

異常に遅く感じるのだ。

 

果てしなく長い時間を感じながら、

1日1日発売日が近づいてきた。

 

そして12月8日、発売日前日。

 

もう目前に迫った発売日。

 

もう明日、待ちに待った

ドラクエⅥが手に入るんだ。

 

 

この日学校で、とある同級生のS君が、

ドラクエⅥを町内のゲームショップで

予約してあるのだけれど、

そのゲームショップの人と知り合いで、

特別に前日にドラクエⅥを

売ってもらえるんだ、ということを

S君が自慢気にまわりに話していた。

 

それを聞いた僕は

「いいなぁ、もう今日手に入るのかぁ・・」

 

と、羨ましかった。

 

僕もドラクエⅥは、近所のゲームショップに

すでに予約していた。

 

しかしS君がドラクエⅥを買う

ゲームショップは、同じ町内ながら

僕が予約したゲームショップとは

違う店だった。

 

僕もS君の前日購入の件を

もっと前から知っていれば

僕もそのお店で前日に売ってもらえないか

お店の人に交渉していたかもしれない。

 

 

その日の放課後、

僕はたまたま用事があって

学校から帰るとすぐに自転車で出かけた。

 

すると行く途中で、

S君が他の同級生数人とぞろぞろ歩いていた。

 

話かけると、たった今、

ゲームショップに行って

ドラクエⅥを購入してきたとのこと。

 

真新しいドラクエⅥを見せてくれて、

その中の説明書を同級生数人と

読みながら帰る途中だったらしい。

 

僕はますます羨ましくなったが、

 

「仕方ない、たった1日違うだけだ、

明日になれば確実に手に入るんだから」

 

と、冷静になるように自分に言い聞かせた。

 

 

そして夜になり、寝る時間になって、

僕は布団に入っても

枕元の電気スタンドの明かりをつけて、

ドラクエⅥ関連の記事が載っている

ファミ通やら少年ジャンプなどを

ひたすら読んでいた。

 

「いよいよ明日だ・・」と、思いながら、

明日は朝一番の店のオープンと共に

買いに行こうと決めた。

 

 

そして翌日、1995年12月9日

ついに発売日を迎えた。

 

 

続く

サンタクロースの疑問をぶつけまくって親を困らせた子供時代 後編

 

前回の記事の通り、

僕はクリスマスにプレゼントをくれる

サンタクロース?というか

プレゼントをくれる謎の人物について

次々に疑問が湧き、

母にその疑問をぶつけまくって

困惑させていた。

 

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子供ながらに童話の世界のような

サンタクロースは存在しないだろう

とは思っていたけど、

現実にプレゼントは届いている僕は、

プレゼントをくれる人が存在するのは

事実なので、その人物の事が

気になって気になって。

 

でも、正体はわからずとも、

子供達にプレゼントを配るなんて、

物凄く良い人なんだと感心したが、

そんなにたくさん子供達に

プレゼントを買って配るなんて、

お金が大変じゃないか?

 

クセのある子供だった僕は、

またすぐに現実的な疑問が浮かんできた。

 

 

何人の子供に配っているのか知らないけど、

その人のお金の事情は

どうなっているんだろう・・?

 

僕はまたまた母に

「ねぇ、サンタさんて

何でそんなにたくさんの子供達に

プレゼントを買ってあげられるの?

お金が大変じゃん」

 

そう言うと、母はまた少し困惑した様子で、

 

「だから・・クリスマス以外の時期に、

いっぱい稼いでいるんだよ」

 

 

 

そうなのかぁ・・

 

なんの仕事をしている人なのかは

知らないけど、クリスマス以外の時期に

頑張っているんだなぁ。

 

 

それにしても色々な子供達に配るなら、

もの凄い金額になるはずだ。

 

そう考えるとほんとにすごい人だ。

 

 

それにしてもいつも枕元に

プレゼントを置いていくけど、

その際に僕が目を覚まして

目撃したことはない。

 

特にその日はプレゼントが楽しみで、

僕もいつもより眠りが浅くて

ちょこちょこ目が覚めたりしているのに。

 

毎年の事だから1回くらいは

目撃してもいいくらいなのに、

不思議だなぁ。

 

 

謎が多いけど、現に毎年プレゼントは

ちゃんと届いているからまぁいいか。

 

と、疑いながらも

プレゼントはしっかりもらって

時が過ぎていった。

 

そのうちまただんだん

成長していくに連れ、

さらなる事実に気が付く。

 

相変わらず正体は不明だが

枕元にサッと置いて

すぐに出て行ってしまうのか、

いまだに目撃したことはないなぁ、

なんて考えていたとき、

 

ん?・・待てよ・・・

 

枕元に置いていく??

 

そういえば枕元に置いていくって

普通に考えてたけど・・

どこの誰だかわからない人が、

夜中に我が家に入ってくるって・・・

 

 

それって泥棒と一緒じゃん!!

 

 

人の家に勝手に入って来るって、

犯罪じゃん!!

 

もしその人が、子供にプレゼントを配る

良い人のフリをして、

実は泥棒だったらどうするんだ??

 

危ないじゃないか!

 

僕は慌てて母の所に行き、訊いてみた。

 

母はまたもや困惑しながら

 

「いや・・だから・・違うよ、

入っては来ないよ。

プレゼントは家のドアの前に

置いておいてくれるんだよ。

それを夜中に私達が取って、

お前たちの枕元に置いてるんだよ」

 

と、答えた。

 

なあーんだそうだったのか。

 

プレゼント自体は家の外に

置いて行ってくれて、

それを両親が取って

枕元に置いてくれていたのか。

 

それなら家の中に勝手に入ってこないから

犯罪ではないか。

 

もうこの頃は小学4年生くらいには

なっていただろうか、

そろそろ両親も、子供を騙せるのも

限界の年だろうと感じていたようだ。

 

もうサンタ(ということになっている)

からのプレゼントは

このくらいの年が最後だった。

 

それからだいぶ年月が過ぎ去った頃に、

やはりこの頃にプレゼントをくれたのは

父だったと、母に聞かされた。

 

やはりそうか、そうだよな、と、

当たり前の事に気が付く。

 

だけど、この時はそう思っても、

当時はなぜか、あそこまで次々に疑問が

湧いていたにもかかわらず、

自分の父親がプレゼントをくれていた、

という結論にならなかったのが

自分でも本当に不思議だ。

 

やはりそのへんは

子供であったということだろうか。

 

母には後々

「あの頃は、正体を秘密にするのが

大変だったんだよ・・」

「お前があまりにも

鋭い質問をぶつけてくるからさぁ・・」

 

と、だいぶ僕の質問攻めで

困らせていたらしい。

 

そりゃぁ、そうだ、

あんなに根掘り葉掘り質問攻めをされたら

かなり参るだろうなぁと、

自分でもほんとに思う。

 

でもそれなら最初から

クリスマスには父がプレゼントをくれる

でいいじゃないか、

と思い、母にそれを伝えてみると、

 

「でも、お父さんからもらうよりも、

サンタさんから貰うほうが

夢があって嬉しいんじゃないかと思ってね。」

 

と言われた。

 

 

そうだ、すべては僕らに

夢を与えるために仕組んでくれた芝居なのだ。

 

確かに嬉しかった。

 

もちろん不自然なことで

疑問が浮かびまくったけど、

プレゼント自体が届いていたのは

事実だったので、

毎年12月24日の夜は楽しみだった。

 

 

ちなみに兄は、僕みたいに

ひねくれた見方をしない子供だったので、

そういったサンタに関する質問などは

両親にいっさいしなかった。

 

ただ純粋に届いたプレゼントに喜んでいた。

 

僕だけが、現実的に考えて、

両親に質問をぶつけて困らせていたのだ。

 

母は僕が大人になってからも僕に、

 

「お前がもし結婚して子供ができたら、

同じように子供に夢を与えてあげるんだよ」

 

と何度となく言っていた。

 

 

そうだなぁ、確かに夢を与えてあげるのも

大事だよな。

 

わかったよ、お母さん。

 

もし子供ができたらそうするよ。

 

 

ただ、僕に似た性格の子供だったら、

当時の僕と同じように

サンタの正体について

僕に質問をぶつけてくるかもね(笑)

 

そうなったらバレずに

ごまかせる自信ないかも(笑)

 

 

でも僕はあの時のプレゼントは

本当に楽しみで、

そして本当に嬉しかったよ。

 

お父さんお母さんありがとね