1日1食(たまに0食)、気まぐれ断食男のブログ

日々食事は1日1食で、たまに0食という変わり者のブログです。思ったことを日々気まぐれに書いていきます。

サンタクロースの疑問をぶつけまくって親を困らせた子供時代 前編

 

前回の記事の通り、

子供の頃は毎年クリスマスに

サンタクロースからプレゼントが届き、

大喜びの僕は、クリスマスが近づく

今くらいの時期になると、

もうワクワクしてきていた。

 

dannjiki835.hatenablog.com

 

 

 

 

 

サンタクロースというのは

もちろん僕の父のこと。

 

だけど、父も母も、その正体を明かさず、

僕ら兄弟に夢を与えてくれていた。

 

 

そのサンタクロース

(ということになっている)

からプレゼントを貰う流れというのが、

次の通り。

 

 

まず、母のもとに

サンタクロースから連絡が来て、

僕らが今年のクリスマスプレゼントに

何が欲しいと言っているか、

訊いてくるというのだ。

 

だから僕たちは事前に母に

欲しいプレゼントを伝えておく。

 

しかし、実はプレゼントも

何を頼んでもいいというわけではない。

 

この注文の時に条件があった。

 

あまりにも値段が高いプレゼントは

ダメだという。

 

僕は「え?そうなの?」と、

ちょっとがっかりした。

 

すると母が

 

「あまり高い物を注文するとねぇ、

次の年からはサンタさんは

来てくれなくなっちゃうんだよ」

 

と、言って来た。

 

 

それを聞いた僕は、

そうかぁ、もうプレゼントを

貰えなくなるのは困る、

と思い、じゃあ7000円くらいのはどうかな?

と言うと、母は

「う~ん・・どうかな・・」と、

微妙な表情を見せ、

「じゃあ5000円くらいは?」、と聞くと

「まぁ・・大丈夫かなぁ・・」

と少しいい反応になり、

「じゃあ3000円くらいなら大丈夫だよね?」

と、訊くと、

「あ、3000円くらいなら大丈夫だよ」と、

明らかに反応が違ったので、

僕はそれからは、

だいたいそのくらいの値段のものを

注文するようになった。

 

兄も同じだが、ただ、

どうしても値段が高い物が欲しい場合、

例えば当時の

スーパーファミコンのソフトなんかは

平気で9000円や10000円くらいしたので、

そういうゲームソフトが

どうしても欲しい時はどうするかと訊くと、

 

「じゃあお兄ちゃんと

二人で一つのプレゼント

ということなら大丈夫じゃないかな」

 

と、母は答えた。

 

僕は、なんとかそういう条件に合うように

毎年プレゼントを厳選して頼んでいた。

 

 

それにしても当時子供ながら、

サンタクロースに関しては

かなり疑問があった。

 

まず、世間で言われる

あの赤い服に白い髭を生やして、

トナカイが引くソリに乗っているような

あのサンタクロースなどは

現実にはいるわけがない、と、思っていた。

 

でも現実にプレゼントは届いている。

 

だから、あの童話の世界のような

格好のサンタはいないけれど、

クリスマスに

プレゼントをくれる人いるんだ

という解釈だった。

 

だから、どこの誰だかわからないけど、

毎年プレゼントをくれるその人を

サンタと思うことにした。

 

 

でも待てよ・・、そういえば・・

母は、サンタクロースから

プレゼントのリクエストを聞く

連絡が来ると言っていたが、

どうやって連絡が来るんだ??

 

僕は母に

「サンタさんて、どうやって

お母さんに連絡してくるの?」

 

と、訊いてみた。

 

すると母は、

 

「え?それは・・・電話だよ」と答えた。

 

 

え?電話で来るの?

 

そうだよな、それが現実的だよな。

と、その瞬間は納得した。

 

 

しかし待てよ・・

 

毎年電話で連絡が来ているのに、

僕が電話に出たことがないぞ??

 

当時、僕は家の電話が鳴ると、

よく電話に出ていた。

 

なので、これだけ

電話に出ていることがあれば、

毎年サンタから電話が来るなら、

僕がサンタからの電話に

出てしまうことがあっても

不思議ではないはずだ。

でもそんなことは一度もなかった。

 

なのでまた母に

「ねぇ、毎年サンタから電話が来てるのに、

僕が電話に出たことはないよ」

と、言ってみた。

 

すると母は少し困惑した様子で

「いやぁ、それは、だから

子供達にバレないように

サンタさんは子供達が

学校に行っている時間に

電話してくるんだよ」と、答えてきた。

 

 

ふーん、なるほど、だから僕が

電話に出くわしたことがないのかぁ。

と、納得した。

 

どこの誰だかは知らないけど、

クリスマスに子供達に

プレゼントをくれるなんて

物凄く良い人なんだなぁ、と、

最初は思っていたけど、

また少々クセのある子供の僕は、

すぐにまた現実的な疑問が湧く。

 

 

続く

毎年サンタクロースから届いたプレゼント

 

もう12月になった。

 

今年も残り少なくなってきた。

 

今はほんとに1年があっという間に感じる。

 

 

12月に入ると、すっかり世の中は

クリスマスモードに入るみたいだ。

 

街に出るとそこら中で

クリスマスツリーが飾ってあって、

クリスマス関連の曲が流れていたり、

テレビのCMでも

クリスマスを思わせるCMが多く流れる。

 

そうなるとやはり僕も

クリスマスモードになってくる。

 

クリスマスモードといっても

何があるわけではなくて、

またまたいつものごとく

 

「ああ、昔はクリスマスに

こういうことがあったなぁ・・」

 

としみじみ思い出し、懐かしむ。

こんなことがほとんどだ。

 

 

でも子供の頃は、クリスマスが大好きだった。

 

子供だからクリスマスそのもの自体も

大好きだったが、

何といっても楽しみは

プレゼントであった。

 

 

子供の頃、毎年12月25日の朝。

目が覚めて枕元を見ると、

必ずプレゼントが置いてあった。

 

それは事前にサンタクロースに伝えていた

僕の欲しいものだ。

 

これはどういうことかというと、この当時、

毎年クリスマスが近づいていた12月上旬、

母のもとにサンタクロースから

 

「子供たちは、プレゼントは

何が欲しいと言っている?」

 

と連絡が来る。

と、母から言われるのだ。

 

僕は、ここぞとばかりに、

その時欲しいおもちゃや

ゲームなどを母に伝えた。

 

すると母は、

「わかった、今度連絡が来た時に

サンタさんにそう伝えとく」

 

こんなやりとりがあって、

ワクワクしながら12月25日の朝を待つ。

 

 

]そして12月25日の朝、正確に言うと、

12月24日の夜に、ひと眠りして

夜中に目が覚めると、もう枕元には

注文したプレゼントがすでに置いてあった。

 

もちろん兄の枕元にも。

 

 

僕ら兄弟は、これが嬉しくて嬉しくて、

とても楽しみだった。

 

 

ある年は、もう楽しみで、

それが原因か、眠りについても

夜中にすぐに目が覚めてしまい、

まだ早いかなと思ったが、枕元を見ると、

ちゃんとプレゼントがもう置いてあった。

 

ふと、隣で寝ていた兄を見ると、

兄も目が覚めてしまったようで、

プレゼントに喜んでいた。

思わず兄と顔を見合わせ、

無言でガッツポーズをしたのを覚えている。

 

といっても夜中なので、まだ包みは開けず、

翌朝になって僕と兄は、

プレゼントの包みを開け、

欲しかったおもちゃやゲームに大喜び。

 

すぐにでもそれで遊びたいが、

その日は12月25日の朝なので、

2学期の終業式があるので

学校に行かなければならない。

 

でも終業式の日なので、

午前中には帰って来れるので、

すぐのことだ。

 

その日は、もう翌日から冬休みに入る

という終業式の日だし、

その後に楽しみな大晦日

正月が控えているし、

学校から帰ったら帰ったで

サンタクロースにもらった

プレゼントも待ってるし、

普段の登校とは違って、

この頃の2学期の終業式は

いつもワクワクした気分で過ごした、

という思い出が強い。

 

 

終業式といえば当然通知表が渡される。

僕はそんなに成績が良い方ではなかったので、

この通知表をもらうのは嫌だったが、

この小学生の頃の

2学期の終業式だけは違った。

 

確かに通知表は嫌だったが、

上記の通りプレゼントや

楽しいイベントが待っている事が嬉しくて、

通知表の事なんかは知ったこっちゃない、

それより、待っている楽しみのほうが

断然勝っていた。

 

 

こんな感じで子供の頃のクリスマスは

とても楽しみだった。

 

 

ところで、皆さんは当然

もうお分かりだと思うけど、

このプレゼントをくれた

サンタクロースというのは

もちろん父だった。

 

だけど、当時は父も母も

サンタクロースの正体を明かさなかった。

 

もちろんそれは僕ら兄弟に

夢を与えてくれるためだった。

 

確かに、僕も毎年クリスマスが近づくと、

今年は何を頼もうかな? 

と、ワクワクしながら

注文するプレゼントを考えていた。

 

だけど、やはりサンタクロースに関して、

疑問も感じていた。

 

しかも両親からお前はくどい、するどい、

と言われたほどクセのある、

へそまがりな僕だ。

 

両親にサンタクロースのことについて

疑問を次々にぶつけて

困惑させまくっていたのも事実だ。

 

そのエピソードについては次回紹介しよう。

外食の時、食後にあったもう一つの楽しみ

 

ここ最近の僕の記事を

読んでくれている方にはわかると思うけど、

僕が子供の頃は

父が家族をよく外食に連れて行ってくれた。

 

 

外食もその時その時で

色々なお店に行ったけど、

その時行ったお店が、

駅ビルや、デパート内のレストランの場合、

食事と同時にその後の楽しみがあった。

 

 

父は色々なお店に

家族を食事に連れて行ってくれて、

もちろんその目的は

家族を楽しませるためでも

あったのだろうけど、

当然父は自分自身も楽しむために

外食をしていた部分もある。

 

なのでお酒が好きな父は、

当然外食の場でもお酒を堪能する。

 

母もお酒が好きだったので、

父と母は外食でお店に行った時も、

必ず晩酌が始まる。

 

そうなると当たり前だが

当時子供だった僕と兄は

お酒を飲まないので食べるだけ。

 

だからいつも僕と兄は、料理を食べ終わると、

父と母よりも先にごちそうさまになる。

 

 

しかしそれからが長いのだ。

 

 

父と母はそこから晩酌モードに入るので、

終了までが長い。

 

いつも外食の時にまわりを見渡すと、

他のお客さんは、

うちら家族よりも後に入ってきた客でも、

うちら家族よりも先に食べ終わって

どんどん帰っていく。

 

まわりのお客さんが

どんどん入れ替わっていくのを

何度見た事か。

 

 

それでも駅ビルやデパート内のレストラン

じゃない場所での外食の時は、

母からペンとメモ帳をもらって、

お絵かきをしたり、兄とふざけたりして

父と母の晩酌の終了まで席に座って

付き合っていたのだが、

駅ビルやデパート内のレストランでの

食事の時は、この時間に楽しみがあった。

 

 

それは、父が、僕と兄に1000円を渡して、

 

「これで、下の階のおもちゃ売り場か

ゲームコーナーで遊んでいろ」

 

と言って僕と兄を

レストランから席を外させた。

 

 

父としては、食べ終わった後に

長い時間、晩酌に付き合わせるのは

退屈だろう、という配慮と、

自分達も、子供達のことは気にせずに

ゆっくりと酒を楽しみたい

という思いがあったようだ。

 

 

なにはともあれ僕ら兄弟は、

この父の対応が嬉しかった。

 

僕と兄はおもちゃ売り場に行って

1000円以内で買えるおもちゃを探したり、

あるいは漫画を買おうか

本屋に行って物色したり、

もしくはゲームコーナーに行って

ゲームをやろうか色々と

喜んで駅ビルやデパート内を飛び回っていた。

 

これは駅ビルやデパートなど、

レストラン街の他に

おもちゃ売り場やゲームコーナーや

本屋がある建物内での食事の時には

ほぼ毎回こうだった。

 

こういう場所での食事の時は

父は毎回僕ら兄弟に1000円を渡して、

「これで遊んでろ」、と言って

食べ終わった僕らに席を外させた。

 

時にはその1000円を

あっという間に使ってしまって

レストランに戻ると、

父は追加でお金を渡してきたこともあった。

 

だから僕ら兄弟は

駅ビルやデパート内で食事をするのは

特別好きだった。

 

 

僕ら兄弟はそのうちに、

こういう時に1000円をもらうのが

当たり前の感覚になっていき、

逆に、それが無いのはありえない、

くらいの感覚になっていってしまっていた。

 

特にそれが顕著だったのは兄のほうだったが、

父はこのことについて、後年、

 

「あんなクセをつけてしまったのは

いけなかった・・」

 

と、少し後悔しているようだった。

 

 

正直言うと、僕と比べて

格段にお金の使い方が荒い大人に

成長してしまった兄について、

父はあの当時の食事後の1000円なども、

その原因の一つではないかと後悔していた。

 

でも確かにこういうのは

当たり前の事ではない・・・と思う、たぶん。

 

うちも特別に裕福というわけではない

家庭だったが、父はそれよりも

自分達がお酒をゆっくりと、

僕らの事を気にせずに堪能したかったのと、

それに長く付き合わすのは

子供には可哀そうだという

配慮があったのだ。

 

とにかくこういうちょっとした事でも

いい思い出を作ってくれた父には

今は感謝している。

 

当時は当たり前の感覚に

なってしまっていたが、

今になって冷静に思い出してみると、

当たり前だなんてとんでもない。

ほんとに有難い行為だった。

 

大人になってみないとわからない

親の有難い行為というのは

数えきれないくらいあるものだと

この年齢になって改めて身にしみるものだ。

行きつけの小料理屋の魅力がわからなかった子供時代

 

前回の記事もさることながら、

最近は外食の思い出を書いていたら、

やはり色々な外食の思い出が蘇ってきた。

 

その中で、居酒屋で食事という思い出もある。

 

これはその言葉の通り

居酒屋で家族で食事をした思い出だ。

 

 

僕の家族は、

父の友人である人が経営している居酒屋、

というか小料理屋というのかな?

そのお店が家から

割と近いところにあったので、

かなりの頻度でそこで食事をしたものだ。

 

家からも近かったし、

父の仕事場からも近かったため、

週に1回、父の仕事が

いつもより早く終わる日があったので、

その日は、父の仕事の終わりと同時に

そのお店に家族みんなで

(父は仕事場から直行)

行くことが多かった。

 

 

母は、もちろんそうなると

その日は家で食事の支度をしなくて済むので

大変喜んでいた。

 

僕と兄も一応外食なので、

けっこう嬉しかった、

最初の頃までは・・・

 

 

 

 

というのも、当時は子供だった僕。

 

居酒屋というか小料理屋のこのお店。

 

基本的に和食が主体である

大人向けのメニューが多い。

 

当時子供だった僕は、

刺身などの生ものや

煮つけなどの料理よりも、

やはりハンバーグやスパゲッティや

オムライスのようなもののほうが

食べたかった。

 

 

当時から白米が好きだった僕は、

このお店に来ると、

なかなかおかずになるものがなくて、

いつもこのお店に来ると、

メニューにはなかった

親子丼などを

特別に作ってもらったりして食べていた。

 

時には鉄火丼の時もあったかな。

 

でも当時はマグロの刺身も

あまり好きではなかったから、

これもそんなに美味しいとは感じなかった。

 

このお店はうなぎにも定評があって、

国産うなぎが割安で食べられて、

しかもうな重は絶品で、

かなりの人気だった。

 

しかし、うなぎも当時の僕は

あまり好きではなかった。

(今は大好物だが)

 

 

唯一、フライドポテトなんかは喜んだかな。

 

 

このお店は先に述べたように

父の友人のお店なので、

けっこうな頻度で行っていた。

 

でも子供向けのお店ではないので、

僕はあまり気が乗らなく、

だんだんこのお店に行く、と聞くと、

「えー!またー?」と、

ガッカリするようになってしまった。

 

 

そのうちに、ここのお店に行くと聞くと、

「僕はいいや」と言って、

僕だけがお店には行かず、

家で一人で

納豆ご飯を食べるようになっていった。

 

 

そう、納豆とご飯。

 

夕飯がたったこれだけだが、

納豆は好きだったし、

これでも当時の僕は、

あのお店で食事よりかはいいや、

と、本気で思っていた。

 

それくらいもう飽きていた。

 

今思うと、とんでもなく

贅沢な事を言っているようで、

信じられない感覚だ。

 

あのお店は料理は素晴らしく、

種類は豊富だ。

 

父いわく、味もなかなかのもので、

確かにお客さんも、近所の人はもとより、

遠くからわざわざ

ここのお店の料理を食べに来る人も

大勢いるくらいだった。

 

しかも値段はそこまで高くなく、

手頃の値段でなかなかの和風料理が

堪能できる。

 

僕も、もういい年齢になった今なんかは、

逆にあのお店で食べてみたい料理は

山ほどある。

 

今だったらあのお店に行ったら

色々な料理を楽しめて、

心底満足できるだろう。

 

それくらいあの小料理屋さんは

なかなかの料理を出していた。

 

 

でも皮肉なもので、

そう思っている今は

もうあのお店は存在しない。

 

時が流れ、お店を経営していた主人も

高齢となり、引退して

息子さんに引き継いだが、

それからすぐに店を閉めてしまった。

 

つくづく惜しい。

 

ほんとに皮肉なものだ、

今になってやっと

あのお店の料理の魅力に

気が付いた年齢になったと思ったら、

そのお店はもうないのだから。

 

仕方ない、その時子供だった、

というのがタイミングが悪かった。

 

あの当時はその素晴らしい和風料理よりも、

納豆ご飯のほうが勝っていたのは、

幼かった僕の中では事実なのだ。

青椒肉絲が食べたくなって、それっぽいのを作ってみた

 

前回の記事で

中華料理屋の思い出のことを書いた。

 

dannjiki835.hatenablog.com

 

 

 

書いているうちになんだか

青椒肉絲が食べたくなって、

自分で作ってみようかなぁ

という気に、なんとなくなった。

 

 

ということで、青椒肉絲というか、

実際はそれっぽい

青椒肉絲もどきを作ってみた。

 

といっても豚肉とピーマンとタケノコを

市販の青椒肉絲の素で味付けするだけの

とても簡単なもの。

 

 

 

作り方は簡単。

 

 

豚肉とピーマンを細かく切って、

すでに細かくなっている

市販のタケノコの千切りと共に火を通して、

そこに青椒肉絲の素を入れて

混ぜ合わせるだけ。

 

 

 

青椒肉絲の素はクックドゥのを使用。

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具材に混ぜ合わせるだけ。

 

 

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便利だね~♪

 

 

 

 

 

 

 

 

ホラ、これだけで

それらしい料理ができるから簡単だね。

 

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さっそくいだただきます。

 

 

 

 

 

 

うん、美味しい。

 

 

味もしっかり感じるから当然ご飯も進む。

 

やはり前回の記事で書いた

あのお店の味とはちょっと違う。

 

 

まぁそれは仕方ないし、それは承知の上だ。

 

でもこれはこれで味が美味しいから満足だ。

 

 

途中でお酢を入れて食べてみたら

少しあの時の感覚に近くなった。

 

 

でも何かが足りないような感覚がある。

 

 

 

そうだ!、

これにエビのチリソースも用意すると、

よりあの時の感覚に近くなるかも。

 

そうだそうだ今度はこれと

エビのチリソースを並べて、

片手に茶碗を持ちながら交互に食べれば

あの時のあの感覚に近くなるかも・・。

 

 

 

よし、今度はやってみよう♪

大好きだった行きつけの中華料理店

 

僕が子供の頃、

父はよく家族を外食に連れて行ってくれた。

 

その時その時で

色々なものを食べさせてくれたんだけど、

たいていは家から近い場所が多かった。

 

洋食、中華、寿司、焼肉、居酒屋などなど、

そのジャンルで行くお店もほぼ決まっていて、

いつも同じお店に行く事が多かった。

 

その理由はもちろん

そのお店の料理が美味しかったから。

 

 

あまり冒険せずに

安全策をとるタイプの父は、

もう美味しいとわかっているお店に

何度も行くということが多かった。

 

だから洋食ならここ、中華ならここ、

寿司屋ならここ、と、いつも決まっていた。

 

 

僕たち家族は週に1回、

多い時で2回は外食をしていた。

 

母も週に1回か2回は

食事の支度をしなくて済む

ということで喜んでいた。

もちろん気分転換にもなるし。

 

 

 

その中で、今回は中華料理を食べる時の話。

 

 

中華を食べる時は、

僕の家の最寄り駅の

駅ビルの中にあった中華料理屋さんが

行きつけのお店だった。

 

そこまで高級な店ではないとはいえ、

ある程度は高級感があるかのような雰囲気の

ここの中華料理は、本当に美味しくて、

僕も大好きだった。

 

というより家族内で僕が一番

このお店のことを気に入っていた。

 

 

僕はここで注文する料理は

いつも決まっていて、

必ず青椒肉絲エビのチリソースを注文する。

 

そしてそれに白米を注文して、

これらをおかずに

白米を食べるのが大好きだった。

 

 

兄もエビのチリソースが大好きだったため、

まずうちら家族は青椒肉絲

エビのチリソースの大皿をドーンと注文し、

そこから両親達が、ナスの味噌炒めやら、

餃子やら、あんかけ焼きそばやら、

春巻きやら、麻婆豆腐やらを

追加で注文して、これら料理をテーブルに

ズラーっと並べて、

いただきまーすと同時に僕は

白米の茶碗を片手に持ちながら、

色々な料理に箸を伸ばしながら

白米をかっこんだ。

 

これが美味しくて、本当に至福の時だった。

 

特に青椒肉絲に酢を少し垂らして食べるのが

絶妙な味がしてたまらない。

 

そしてそれと同時にエビのチリソース

口の中に入れるのがやみつきだった。

 

 

このお店は、店長が本場中国で修行して、

そして日本人向けに味を少し改良し、

料理を提供しているというお店らしい。

 

とにかく美味しかった、

僕の子供の頃は中華料理といったら

ほぼこのお店しか行かなかった。

 

たまーに、違う中華料理のお店に行ったり、

現在でも、どこの中華料理のお店でも

同じメニューの料理を食べても、

あるいは家で作っても、

この時のお店の味と比べると

劣っていると思ってしまう。

 

それくらいあのお店の中華料理は

美味しかった。

 

 

そのお店も僕が大人になってからは

閉店してしまった。

 

 

最後に行ったのは、僕が二十歳の成人式の日。

 

この日、父がお祝いと称して

家族をこのお店に連れて行ってくれて、

ここで成人式の乾杯をした。

 

そしてその少し後に

このお店が閉店したことを知った。

 

僕は残念だった。

 

もうあの味を堪能することができないのか・・

 

そう思うと寂しくなってきた・・

 

その後またうちら家族は

美味しい中華料理屋さんを見つけて、

またそこが行きつけのお店となったのだが、

美味しい事は美味しいが、

やはりあの駅ビルの中の

中華料理屋さんと比べると、

ワンランクくらい劣るような気がした。

 

記憶の中でいまだに僕の中華料理の

ランキングでトップに君臨しているあのお店。

 

もう無くなってしまったのは仕方ない事だ。

 

だからこれからは、

あのお店を超える美味しさのお店に

出会うことを願っている。

 

といっても僕なんかは井の中の蛙状態だから、

それならもっともっと

世の中の中華料理のお店にどんどん行って

食べてみろよ、ていう話なんだろうけどね。

 

初めての給食の日の思い出

 

前回の記事で、

給食が美味しかったという

小学生中学生時代の思い出話を書いた。

 

dannjiki835.hatenablog.com

 

 

 

 

その給食の思い出で思い出したことがある。

 

 

それは

 

 

初めて給食を食べた日

 

というものだ。

 

 

これは小学1年生になって

初めての給食の日のことだ。

 

 

80年代後半の事だから

もう相当前の話だけど、

今でも記憶に残っている。

 

 

僕の通っていた小学校では、

入学してしばらくは

新1年生達は午前中授業だけで終了となり、

お昼ご飯である給食は

入学してからしばらくはなかった。

 

なので最初の給食の日は、

入学からしばらく経った頃だった。

 

 

 

そして初めての給食の日。

 

班ごとに給食当番を決め、

担任の先生が丁寧に、配膳の仕方を教えて、

子供達は準備に取り掛かった。

 

 

この記念すべき初めての給食のメニューは、

 

ホイップクリームパン

コッペパンにスリットが入っていて、

そこにホイップクリームが詰められている)

 

カレーシチュー、そして野菜サラダだった。

 

 

 

給食当番の子達が、

お皿に給食を盛っていくのだけれど、

カレーシチューを盛っていた子は、

やはりうまくできなくて、

着ている白衣にカレーシチューが

びっしょり付いてしまっていた。

 

まぁ今思えば6歳の子には

こうなってしまうのも仕方がないのだろう。

 

 

全員に配膳が終わったところで、

みんな揃って

 

「い・た・だ・き・ます!!」

 

の声で食べ始めた。

 

 

僕もさっそくパンにかじりつく。

 

甘い物が大好きな僕は、

このホイップクリームパンが嬉しかった。

 

甘さはそんなに強くなかったけど

やはり美味しかったのを思い出す。

 

そしてカレーシチューと交互に食べた時に、

甘い物としょっぱい物のコラボが

絶妙に美味しいということに気が付いた。

 

僕は夢中でパクパク食べた。

 

 

途中、校長先生が、

初めての給食の日、ということで、

1年生の教室に回ってきた。

 

 

「どうですかー?みなさん」

 

「おいしいですかー?」

 

と、校長先生。

 

 

みんな「おいし~い」と元気に応えてた。

 

 

この時は特に少食だった僕は、

この給食がけっこうな量に感じ、

食べ終わるとかなり満腹になった。

 

だからこの時はお代わりなんてする気はなく、

もうお腹いっぱいだった。

 

 

これが僕の初めて給食を食べた日の思い出だ。

 

皆さんは初めての給食の日を覚えているかな?

 

僕の場合は何だか知らないけど、

たまたま記憶に残っているのだ。

 

理由はわからないけど、僕の中で

自分が思ったよりも強く

印象に残る出来事だったのかな?

 

確かに美味しかったというのは

間違いないけどね。