1日1食(たまに0食)、気まぐれ断食男のブログ

日々食事は1日1食で、たまに0食という変わり者のブログです。思ったことを日々気まぐれに書いていきます。

小学生中学生時代の給食は美味かった

 

小学生、中学生の頃の

給食の思い出は数えきれないほどある。

 

そのほとんどが美味しかったという思い出だ。

 

そう、給食が美味しかった。

 

いまはニュースなんかで

給食が美味しくないという

子供達の声が報道されていたりするが、

僕が小学生中学生の頃、

というよりたまたま

僕の地域の給食が美味しかったのか?

僕は給食といったらほとんどが美味しくて、

いつも楽しみだったという記憶しかない。

 

もう25年や30年は前の事だけど、

鮮明に覚えている。

 

 

その中で好きだったメニューは

数えきれないくらいある。

 

そのメニュー自体は別に

特別に凝った料理ではなく、

誰もが普段食べるような

ごくごく普通のメニューばかりだ。

 

それでも給食のそれはすごく美味しかった。

 

例えばカレーにしても

スパゲッティミートソースにしても、

ごく普通なのだが、

その味が絶妙に美味しいのだ。

 

外食で食べる味とも違う、

家で食べるそれとも違う、

給食ならではの味なのだが、

それが絶品だった。

 

僕は給食で美味しくなかったメニューが

あった記憶はない。

 

たまに、なんだこれは?

という珍しいメニューや、

なんだこの組み合わせは?

という珍しい組み合わせの献立でも

食べてみると絶妙にマッチして

「うんまーい」と感動したものだ。

 

 

今思うとなぜあんなに美味しかったのかは

不明である。

 

多少は学校でみんなで食べるからとか、

そういうフラシーボ的な要素も

あるのだろうが、

給食にはそういう不思議な魅力があった。

 

一体どうやってこんなにも

美味しい料理を作るんだろうと、

いつも感心していた。

 

 

小学校中学校共に学校の1階にある

給食室で、朝から、

いわゆる給食のおばさんと呼ばれる人達が

作ってくれている。

 

 

だいたい3時間目の終わりの

休み時間あたりに給食室の前を通ると

いい匂いがただよってくる。

 

そうなるともうお昼ご飯が

楽しみで仕方がなかった。

 

 

給食の配膳は給食当番が

班ごとに順番に交代制で回ってきて、

お皿に盛ったりをすることになっていた。

 

給食は基本的に1人前の量が少なかったので、

たいては全部食べ終わっても

全然お腹がいっぱいにはならなかった。

 

なので当然お代わりをすることになるのだが、

お代わりも、いつも余っているとは限らない。

 

なのでお代わりしたくても

できない時もたくさんあったし。

余っていてもお代わりの人が

同時に続出すると

ジャンケンで勝たないと食べられない。

 

お代わりができない時は

当然満腹にはならないのだが、

そこで飲み物の牛乳を飲み干す。

 

当時200mlの瓶の牛乳(今はパック?)が

けっこう量が多く感じ、

給食を一人前食べ終わった後に、

まだ食べ足りなくても、

この牛乳を全部飲み干すと、

前述のようにお代わりができなくても

けっこうお腹がいっぱいになった。

 

そうなるとお代わりができないときでも

なんとなく満腹になり、

ほぼ満足な状態になった。

 

少ない量の給食で最後牛乳で

腹いっぱいにするというのは、

そもそも学校側の予算の関係で

ちょうどいいように

帳尻が合わされているのか?

 

牛乳はそのためだったのか?

 

とにかくそう思ってしまうような感じが

この1本の牛乳にはあった。

 

そういうこともあって

給食にはそんな側面もあったが、

それでもとにかく給食といえば僕は

美味しかったという思い出で

いっぱいなのだ。

 

それはフラシーボかもしれないし、

いわゆる思い出補正というものかもしれない。

 

でも確実に給食は物凄く美味しかった

という思いで食べる事ができた小学生時代と

中学生時代。

 

それはやはり幸せなことなのは

間違いないだろう。