1日1食(たまに0食)、気まぐれ断食男のブログ

日々食事は1日1食で、たまに0食という変わり者のブログです。思ったことを日々気まぐれに書いていきます。

小学校の思い出4 給食が始まった

 

小学校の思い出シリーズ。

 

 

今日は1年生の時の

給食が始まった頃の事を思い出してみよう。

 

 

 

入学式が終わり、しばらくの間は給食がなく、

午前中だけの授業のみの学校生活だった。

 

それから少し経つといよいよ給食の始まりだ。

 

 

担任の女性教師、S先生から

給食の配膳の仕方などを教わり、

料理の並べ方なども教わった。

 

ちなみにこのS先生は、

けっこうそういうマナーに関しては

割と細かいほうで、

給食の時には、おぼんの下に敷く

小さなテーブルクロスを各自、

自宅から持参させるようにさせたり、

ごはん(主食)は左側に置くようにとか、

いただきますの直後は、

まず飲み物をひと口飲んでから

食べ始めるだの、

けっこう細かく児童に覚えさせていた。

 

 

配膳に関しては各班ごとに

給食当番が1週間交代でまわってくる。

 

僕もこれまで料理をお皿に盛るなんてことは

ほとんど経験がなかった。

 

一応幼稚園でも給食があったけど、

その時は給食という名のお弁当というか、

お弁当箱に入っているものが

配られただけだったので、

こういう配膳の経験は、

この小学校での給食で初めて経験した。

 

 

 

小学校で初めての給食の日

の思い出はすでに

書いたからここでは書かないけれど、

 

dannjiki835.hatenablog.com

 

 

僕は、1年生の時は、まだ給食の時間でも

お腹が空いていないことが多く、

けっこう食べきるのに苦労した。

 

 

後に常に完食できるようになって、

その後足らないくらいになるのだが、

この当時は給食の量が多いと感じた。

 

 

しかし担任のS先生は

こういう事にも厳しかった。

 

もう食べられないと訴えても、

なかなかごちそうさまをさせてくれない。

 

給食の後はすぐに掃除の時間が始まるのだが、

食べ終わらないと、その掃除の時間でも

隅っこで食べ終わるまで食べさせられた。

 

 

これはキツかった。

 

 

ただ単に好き嫌いを言って

残しているわけではなくて、

本当に満腹でもう食べられないのに、

無理やり全部食べるまで

ごちそうさまをさせてくれないのは

本当に辛かった。

 

一応どうしても

食べきることができなそうだったら

なんとか片付ける事を許されたのだが、

それはよっぽどの時で、

たいていは無理にでも食べさせられた。

 

だから1年生~2年生の

中盤くらいまでかなぁ、

そのくらいの時期は、給食の時間といえば

大変な思いをしたことがけっこうあった。

 

 

そしてこのS先生はそれだけではなく、

食事に関して他にも厳しい事が

色々あったのだけれど、

その苦労エピソードは

また別の機会に紹介します。