1日1食(たまに0食)、気まぐれ断食男のブログ

日々食事は1日1食で、たまに0食という変わり者のブログです。思ったことを日々気まぐれに書いていきます。

ドラクエⅤを買いに行った 1992年都民の日

 

今日は10月1日。

 

10月1日といえば都民の日。

 

東京都の学校は休校になる日なのだが、

最近は休日にしないで

授業を行う学校も多いと聞いた。

 

僕が子供の頃はやはり10月1日は

学校が休みだった。

 

当然休日がもらえて嬉しかったけど、

特に何もしないで過ごした都民の日は

特別記憶には残ってない。

 

だけどひとつだけ、都民の日の思い出で

印象に残っている年がある。

 

 

それは今から29年前の

1992年の都民の日だ。

 

 

なぜ記憶に残っているかというと、

この日は発売して間もないドラクエ

買いに行った思い出があるからだ。

 

 

経緯としては、

この都民の日の少し前の9月27日に、

スーパーファミコン用ソフトとして

ドラクエが発売された。

 

スーパーファミコンのソフトとしては

初めて発売されるドラクエシリーズのソフト

ということで大注目されたソフトだ。

 

 

僕もドラクエといえば、この前の年、

1991年にドラクエを買って、

初めてRPG、そしてドラクエ

というものをプレイしてクリアし、

そしてその直後に中古ソフトで

ドラクエを購入して

それもまたクリアしたという直後だったので、

ドラクエⅤ発売に関しては関心があった。

 

 

でも新品のスーパーファミコンソフトは

けっこうな値段だ。

 

小学生の僕にはなかなか手が出ない。

 

 

仕方なく父にお願いしてみたら、

1万円を上限に出してくれるという。

 

 

僕は喜んで

近所のゲームソフト屋さんに行った。

 

 

 

しかし店頭に並んでいる

ドラクエⅤの値段を見て絶句する。

 

 

なんと11000円を超えていた。

 

僕はびっくりして

 

「え!!なにそれ・・高いなぁ~!!」

 

 

表示されていた値段は、

通常のスーパーファミコンソフトの

平均価格を遥かに上回る金額だった。

 

 

これはいまだにどうしてそのお店は

そんな金額で売っていたのかが不明だが、

とにかく1万円を超えていたので、

買うのを断念して、父に1万円を返した。

 

 

仕方ない、もう少し値が下がるまで待つか。

 

 

こうしてドラクエⅤの購入を一旦は諦めた。

 

 

しかし当時毎週愛読していた

少年ジャンプの広告欄に

発売直後とあって、ドラクエⅤの情報が

頻繁に出ていた。

 

それを見ていると、

どうしてもやりたくてウズウズしてきた。

 

やはりどうしてもすぐに欲しいと思った僕は、

10月1日の都民の日で学校が休みの日に

秋葉原まで行って買いに行こうと決めた。

 

秋葉原なら

ゲーム関連のお店がたくさんあるし、

それだけお店がたくさんあれば、

必ず1万円以下のドラクエⅤも

見つかるはずだ。

 

そう思い、都民の日に秋葉原に行く事を決め、

もう一度父から1万円を受け取った。

 

 

電車に乗っての移動だし、高い買い物だから

兄も一緒に付いてきてもらうことになった。

 

 

しかし前日の9月30日の夜。

ちょっとしたアクシデントがあった。

 

父と母が大喧嘩をしたのだ。

 

あまりの大喧嘩に僕と兄は

必死で止めに入った。

 

その時に僕は大声も出しながら必死で止めた。

 

しかしこの時大声を出したことが原因?

かどうかは断定できないけど、

翌日、目が覚めて、

親に話しかけようとした時に

自分の喉に異変を感じた。

 

 

こ、声が出ない・・・

 

 

なんと声がかすれて、

思うように声が出ない。

 

どうしてしまったんだ・・

 

 

思い当たる事といえば、

昨夜の親の夫婦喧嘩を止めに入ったときに

大声を出したくらいだ。

 

それで声が枯れてしまったのか??

 

とにかく声が思うように出ないのは参った。

 

 

父に伝えると、

「ふーん、そうか。

飴でもなめていれば治るんじゃない?」

 

と、まったく気にせず新聞を読んでいた。

 

 

 

とにかく、今日はドラクエⅤを買いに

秋葉原に行くと決めていたのだから

何としてでも行く。

 

 

僕は予定していた通り、

兄と一緒に1万円を持って秋葉原に向かった。

 

 

 

秋葉原に着くと、やはり人が大勢いた。

 

都民の日だからというのもあるのか、

もっとも秋葉原はいつ行っても

大勢の人がいるのだが。

 

 

最近の秋葉原はよく知らないが、

この当時の秋葉原は、もうそこら中に

ゲームソフトが並べられて販売している

ゲームソフト専門の店がたくさんあった。

 

どこの通りに行っても、

立て続けにそういうお店があって、

特に当時はスーパーファミコン用のソフトが

ズラーっとたくさん並べられて売られていた。

 

もうはっきり言ってどこで買おうか

迷ってしまうほどだった。

 

 

とにかく適当に歩いて、

適当なお店を選び、購入することにした。

 

しかしどのお店もお客さんが

わんさか詰めかけていて、

店員さんに欲しいソフトを伝えるのも

順番待ちもあってひと苦労だった。

 

 

なんとか順番になり、店員さんに

「ド、ドㇻゴン・・ク・エ・ス・ト・・

Ⅴを・・く・だ・さ・い・・」

 

と、かすれた声をふりしぼり、

なんとか伝えることができた。

 

 

すると店員さんが「9800円」です、

と言った。

 

 

よかった、1万円以内だ、買えるぞ。

 

 

ゲームソフトが9800円という、

決して安くない、

むしろけっこうな値段だったが、

この前の地元のゲームショップで

11000円超えの値段を見ていたから

だいぶ手頃の値段に感じた。

 

 

ようやく買えた。

 

 

とりあえずホッとして、

さすがは秋葉原、と、

秋葉原を褒めたたえながら帰路に着いた。

 

 

 

こんなことがあって、

1992年の都民の日は、僕の中で

声が枯れて出にくい中で、

秋葉原に行ってなんとか

ドラクエⅤを買った日

という思い出として

強烈に印象に残っているのだ。

 

 

ちなみにその後、

声が元に戻るまで数日かかり、

この都民の日の翌日、

学校に行ってもみんなに笑われたし、

授業中先生にさされても、

うまく発言できなくて苦労した。

 

 

ドラクエⅤの購入は別として、

声の枯れはもう二度と経験したくないと

痛感した都民の日だった。