1日1食(たまに0食)、気まぐれ断食男のブログ

日々食事は1日1食で、たまに0食という変わり者のブログです。思ったことを日々気まぐれに書いていきます。

僕の筋トレ遍歴13 ベンチプレスの快進撃、ついに打ち止め

 

筋トレ遍歴シリーズの前回のあらすじ

 

ベンチプレスのMAXに次々に挑戦していった

高校3年生の時。

 

体重53kg程度ながら

102.5kgまで上げることができた。

 

またもや成功の勢いで、

また次のMAXに挑戦したくなり、

105kgに挑戦する。

 

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僕は105kgに挑戦しようと試み、

また何度かの軽い胸トレ日を挟んだ後に

105kgに挑戦した。

 

 

ここまで快進撃が続き、

成功を重ねてきたので、

今回もいける、という思いで試みる。

 

ベンチに寝転がり、バーを握り、

力を込めてラックから外す。

 

この瞬間の直感としては

「よし、いけるぞ!」だった。

 

持った瞬間の直感としては、

そこまでズシリとした重さは感じられない。

 

そこから胸まで下ろし、一気に押し上げる。

 

 

しかし半分で止まってしまった。

 

 

それでも諦めず、押し続けた。

 

 

 

しかしバーベルが動かない。

 

 

そして力尽きて

バーベルが下がってきてしまった。

 

 

僕は補助の人に上げてもらい、

105kgの挑戦は失敗した。

 

 

 

なんか無性に悔しい・・

 

 

納得がいかない・・

 

 

 

直感的にはいけそうな気がしたので、

この失敗は納得いかなかった。

 

 

どうしてもモヤモヤした気持ちが抜けず、

少し休憩した後にもう一度挑戦したいと

補助の人に伝えた。

 

僕はインターバルを長く取った後に、

再び105kgに挑戦した。

 

またベンチに寝転がり、

バーを握ってラックから外す。

 

そして胸まで下して一気に押し上げた。

 

 

しかしまた半分のところで止まってしまい、

しかも今度はすぐさま力尽きて

バーベルが下がってしまった。

 

補助の人にすぐに上げてもらい、

再び失敗した。

 

やはり2回挑戦は無謀だった。

 

気持ち的には納得がいかずに

もう1回挑戦したかったが、

1度目の挑戦の時に

やはり力は消耗していたようだ。

 

僕はまた別の機会に挑戦し直そうと思い、

その日は終了した。

 

 

 

そしてまた軽い胸トレ日を挟んだ後に

また105kgに挑戦する時が来た。

 

 

今度は意気込んでいるというよりかは

冷静というか落ち着いていた。

 

無心というか、あまり考えずに

いつもどおりベンチに寝転がり、

バーを握ってラックから外し、

胸まで下ろし、全力で押し上げた!

 

 

 

またもや途中で止まってしまった。

 

 

 

しかし僕は全力で押し続け、

少しバーベルが斜めになりかけたが、

ついに上げ切ることができた。

 

105kgも成功。

 

 

上げた後もこの日は冷静だった。

 

嬉しい事は嬉しいが、

なんだか落ち着いた心境だった。

 

そしてこの成功がひとまず

打ち止めというべき成功だった。

 

というのも、この後また少し経った頃に

107.5kgに挑戦してみたが、失敗し、

そしてまた軽い胸トレ日を挟んだ後に

再度挑戦してみたが、それも失敗。

 

そしてまた後日に3度目の挑戦をしたが、

それも失敗したのだ。

 

 

結局105kgを上げてからは

一旦頭打ちになった。

 

 

とはいえ、ここまで短期間に成功が続き、

高校3年生時の夏の始め頃に

87.5kgが成功してから、

秋までのほんの数ヶ月で

105kgまで成功した。

 

この間に体重はほぼ変わらず、

身長167㎝に対して体重53kgだった。

 

レーニング施設に通い、

ベンチプレスというものをやり始めてから

まだ2年経っていなかった時だ。

 

ちなみにベンチプレスでは

腰はいっさい浮かさず、

ベンチにべちゃっと背中も腰もつけたまま

1ミリも浮かさず上げるフォームだ。

 

それは別に意識して

やっているわけではなかった。

 

もともと自己流でベンチプレスをやり始めて、

自然とそのフォームで覚えてしまったので、

逆に腰を浮かせようとしても

できなかったのだ。

 

 

とにかくこの高校3年の夏から秋は、

自分の中でも不思議なくらい

ベンチプレスのMAXの成功が続いた

伝説として自分の中で残っている。

 

この後はまたベンチプレスでは

MAXに挑戦することはなく、

数レップでトレーニングを続ける

という日々がずっと続いた。

 

高校を卒業して社会人となった後も、

ずっとそうやってベンチプレスをやっていき、

MAXには挑戦しなかった。

 

いまでは筋トレをやっていた事自体が

懐かしい記憶だが、

この高校3年時のベンチプレスの快進撃は、

特別思い出に残っている

僕の筋トレの歴史である。

高校時代のスキー教室、でもやっぱり嫌だった 後編

 

前回のあらすじ

 

高校1年の冬、

学校行事で2泊3日のスキー教室があって、

宿泊学習が大嫌いな僕は仕方なく参加し、

やっと1日目が終わった。

 

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2日目、また昨日と同じスキー場に向かい、

昨日の続きの指導を受ける。

 

 

この日はなんとか昨日よりかは

長い坂を滑れるようになっていた。

 

その横では、スキー経験のある

中級者クラスの連中が

自慢気に爽快に滑って行った。

 

「大丈夫?!そんなのもできないの?」

と言ってくる奴もいた。

 

 

 

あっと言う間にお昼になり、

この2日目に宿泊することになっている、

岩原スキー場にある岩原高原ハウスの

宿泊する部屋に各自行って、

部屋ごとにお昼ご飯の

カレーライスを食べた。

 

 

午前中の練習でお腹が空いたのか、

このスキー教室中で唯一完食したのは

この日のカレーライスのみだった。

 

 

 

そして午後の練習で

スキーのほうはなんとか

坂を曲がったりしながら滑れるようになった。

 

一応止まることもできるようになった。

 

 

2日目はそういう感じでレッスンが終了し、

また夕方に風呂の時間になって、

岩原高原ハウスの風呂に入った。

 

前日の学校の宿泊所とは違い、

もう少し広いお風呂だったので、

前日よりかはゆったりと入ることができた。

 

 

夕食はこの高原ハウスの

たぶんレストランと思われる場所で

みんなで食べた。

 

この日のメニューも何が出たかは

全部は覚えてないが、

豚の生姜焼きがあったのは覚えている。

 

ここでも他のクラスメイトは

お代わりをする人が大勢いたが、

やはり僕は食欲があまり湧かず、

そんなには食べられなかった。

 

 

 

食事が終わると部屋に戻って

タツに入りながらテレビを観ていた。

 

この高原ハウスの部屋には

タツがあるのは有難かった。

 

 

テレビも有料放送の

WOWOWまで観れる状態だったので、

それもなんだか嬉しかった。

 

 

とにかく2泊3日のスキー教室なので、

明日には帰れるということで

少しホッとしていた。

 

 

 

3日目、まだ起床前の5時頃に目が覚め、

同時に便意を感じ、トイレにいった。

 

朝早くから下痢だった。

 

やはりこの辺も神経の影響か、

宿泊学習の時は過去にも

お腹を下してしまったことがあったため、

「またか・・」という思いだった。

 

 

しかし最終日まで来ると

とりあえずホッとする。

 

もう帰れる、という思いが強いからだ。

 

 

 

最終日のレッスンは、

初級者コースの生徒もリフトに乗り、

山の上のほうから

インストラクターの人に付いて

滑っていくということが

みんなできるまでになっていた。

 

僕も最終日にはなんとか

そこまで滑れるようになっていた。

 

 

最終日は午前中まででスキー教室は終わり。

 

お昼には高原ハウスに戻り、

着替えて、帰りの準備をしたら、

出発前に高原ハウスのレストランに

全員集まって昼食。

 

ちなみにこの時の昼食はチャーハンだったが、

なぜか先生達はメニューが別で

ラーメンだった。

 

生徒から「俺もラーメンがよかったなぁ」

と、ちらほら声があがっていたが、

僕はどっちにしろやはり食欲はあまりなく、

チャーハンも食べきれずに残してしまった。

 

 

そして昼食が済むと、バスに乗り、

帰路に就く。

 

ほんとにここまで来ると

ホッとして嬉しくなってくる。

 

宿泊学習が大嫌いな僕は、

昔から終わった後に

その宿泊学習の何が楽しかったか?

と、問われると

確実に「帰る時」という答えで決まっていた。

 

それくらい嫌だった。

 

だからこのスキー教室もそんな思いから、

嫌だったという思い出が大半を占めている。

 

これはどんな宿泊学習でも

修学旅行でも同じで、

僕にとっては家族で行く家族旅行とは

似ても似つかない行事なのだ。

高校時代のスキー教室、でもやっぱり嫌だった 前編

 

高校1年の時のちょうどこの時期。

 

学校の行事でスキー教室というのがあった。

 

その名の通り、スキー場に行って

スキーを教わるといった

2泊3日の宿泊学習だった。

 

でも宿泊学習が幼い頃から大嫌いな僕。

 

スキーも別にやりたくなかったから

当然乗り気ではなかった。

 

クラスメイトの中には

部活の大会が近いから

スキー教室には参加できない

というクラスメイトもいたが、

正直めちゃくちゃ羨ましかった。

 

 

 

そして乗り気じゃないまま当日を迎える。

 

 

朝早くに学校に集合して、

そこから観光バスに乗って出発。

 

目指すは新潟県岩原スキー場

 

 

友達の少ない僕は、バスの中でも

大人しく外の景色を見たり

眠ったりして過ごしていた。

 

 

途中、高速道路のサービスエリアで昼食。

 

といってもサービスエリアのお店で

食べ物を買って食べるのではなく、

学校側から事前にお弁当持参の指示があり、

自宅から持ってきたお弁当を

サービスエリアのテーブルで食べる

というものだ。

 

 

そしてお昼休憩が終わり、再びバスに乗り、

だんだんバスが雪景色の地に入ると

みんなが騒ぎ出した。

 

 

「おおー、雪だー!」

 

 

東京では雪が珍しいから、

みんな外の景色が雪景色になっただけで

騒ぎ出したのだ。

 

 

 

そして目的地の岩原スキー場に到着。

 

 

岩原高原ハウスの中で、

用意されていたスキーウエアに着替え、

ゲレンデに整列する。

 

 

このスキー教室では

3つのグループ分けがあって。

 

初級者コース、中級者コース、

上級者コースの3つのコースの中から

事前に自分で選択して選ぶ。

 

僕は今までスキーなど

やったことがなかったので、

当然初級者コースを選んだ。

 

スキーの基本中の基本を教わり、

道具の使い方なども教わった。

 

 

1日目は、なんとかちょっとした坂を

ゆっくり滑るくらいまでで

レッスンは終わった。

 

 

 

この日はスキー場近くの

学校所有の宿泊所に泊るということで、

バスはそこに向かった。

 

 

僕は部屋決めの際に、なんとか数少ない

仲が良かったクラスメイトとの部屋に向かい、

会話をしたりテレビを観たりして過ごした。

 

 

夕食の前にお風呂に入りに浴場に向かうが、

この宿泊所の風呂は、

自宅の風呂より少し広い程度しかなく、

みんなタイミングを見て入りに行かないと

すぐに浴室が満員になってしまうほどだった。

 

 

 

風呂の後は食事。

 

 

献立に何が出たかは

はっきりとは覚えてはいないけど、

確かトンカツとカニカマが出ていたのだけは

なぜか覚えている。

 

この時特に食欲はなかったが、

全部食べずに残したのは記憶にある。

 

どうも昔からこういう時は

特に食欲が湧かない。

 

お昼に食べたものが

まだ消化していないのもあったのだろうけど、

こういう場での食事では

子供の頃から少し緊張感も出てきて、

普段よりもあまり食べられない。

 

このへんも子供の頃からの

自室神経失調症の影響もあるのだろうか?

 

他のみんなはスキーレッスンで

お腹が空いたのか、

みんなお代わりの列に並んでいた。

 

みんな凄いなぁ、

よくそんなに食べられるなぁ、と、

しみじみ自分との違いに驚いていた。

 

 

そんなこんなで

なんとか夕食の場もやりすごした。

 

 

そしてその後も部屋でテレビを観たりして

時間を潰して、1日目は終了。

 

 

続く

子供の頃の豆まきの思い出

 

先日は2月3日ということで

節分だったんだけど、

今年もこんな状況だから、

神社では豆まきの行事も

やはり中止だったようだ。

 

といっても僕はそれが行われていても

参加するわけではないのだけれど。

 

 

でも昔、小学生の頃は

神社の豆まきには必ず参加していたなぁ。

 

 

神社の豆まきというと、

豆の他にお金やお菓子なども撒いてくれて、

子供だった僕はそれが楽しくて、

いつも近所の神社の豆まきに参加していた。

 

 

節分の日は学校でも

クラスメイトが放課後に神社に行く

という話を教室中でしていて、

実際放課後の豆まきの時間には、

大勢のクラスメイトが神社に集まっていた。

 

やはりみんな楽しみなのだ。

 

だけど、この豆まきは

ちょっとした戦いでもある。

 

というのも、他に参加している大人達、

特におばちゃん達の気迫が凄いのなんの。

 

みんな豆と一緒に撒いてくれる

お金を拾うことに気合を入れている。

 

実際豆まきが始まると、

お金が飛んできようものなら

 

「あ゛――!!来たーー!!」

 

などといって凄い勢いで取りにかかる。

 

 

もう体の小さかった僕は

押されるは、倒されるは、

踏みつけられるはで服はドロドロ、

冬でも半ズボンで露出していた脚は

擦りむいたり怪我するし、

終わった時には壮絶な戦いの後、

という感じでボロボロ状態になっていた。

 

そんな苦労をしても収穫は

全部で100円ちょっとくらいだった。

 

金額的にはそんなものだけど、

子供だった僕は、それでも

このイベント自体が楽しかったのだ。

 

ちなみにこの豆まきを見に来ていた僕の母は、

物凄い気迫でお金を取りにかかる

おばちゃん達を見て、

「たった何十円とかのお金なんだから、

子供に取らせてあげればいいのにねぇ」

 

と言って呆れた顔をしていた。

 

僕も当時は、僕ら子供に

譲ってほしいと思っていたけど、

大人達もそうはいかないようだった。

 

でもこれはこれで楽しかった思い出として

今でも残っているんだな、僕の中で。

 

 

そんな行事も、今は中止で

寂しい気もするけど仕方ない。

 

早くまた神社で豆まきができる日が来て、

子供達の元気な声を聞きたいものである。

僕の筋トレ遍歴12 まだ快進撃は続いていた

 

筋トレ遍歴シリーズの前回のあらすじ

 

ベンチプレスのMAXに次々に挑戦していき、

その都度成功し、快進撃を続けていた

当時高校3年生の夏頃。

 

97.5kgまで上げる事ができ、

いよいよ次は100kgに挑戦する時が来た。

 

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いよいよ100kgに挑戦だが、

この100kgという数字、ベンチプレスで

100kgを上げるというと、何かひとつの

ステータスのような気がしていた。

 

 

もちろん単に100kgを上げるといっても

その人の体重によって

その価値が変わってくると思うが、

当時53kgだった僕の体重からすると、

まずまずだと当時は自分で思っていた。

 

 

 

そして100kgに挑戦。

 

 

バーベルの重量を100kgに設定し、

ベンチに寝転がり、集中力を高める。

 

 

そしてバーを握り、

グっと力を込めてラックから外した。

 

 

そしてスーっと胸まで下ろし、

フルパワーで押し上げた。

 

 

7割まで上がったところで

ちょっと止まってしまった。

 

それでも渾身の力を込めて押し続け、

なんとか上がった。

 

 

 

上げた・・

 

 

 

100kgを上げた。

 

 

 

100kgという

区切りのいい数字を上げたことで、

これまでとは達成感が違っていた。

 

この時は特別に嬉しかった。

 

いままで頑張ってやってきたことが報われて、

爽快感がひときわ大きかった。

 

 

だが、これで立ち止まるつもりはなく、

もうすでにまた1回軽い胸トレ日を挟んだら、

新たなMAX挑戦をしようと

すでに決意していた。

 

 

 

僕はまた軽めの胸トレ日をやった次の

胸トレ日に、今度は102.5kgに

挑戦してみることにした。

 

 

ほんとに今思うと

こんなにどんどん重さを上げて

MAXに挑戦するのは無謀だと

今は感じるのだが、当時の僕は

成功があまりにも続いていたことと、

当時17歳でまだまだ子供だったことで、

若気の至りじゃないけど、

ほんとに調子に乗ってしまっていた部分が

かなりあった。

 

 

 

そして102.5kgに挑戦する日。

 

またまたいつも通りベンチに寝転がり、

バーベルを握ってラックから外した。

 

 

 

「ん?!」

 

 

 

この瞬間、いままでとは違う

ちょっとズシリとした重さを感じた・・

 

 

すぐさま胸まで下ろし、

全力で押し上げる。

 

 

しかし途中で止まってしまった。

 

 

なんとかこらえながら上げ切ろうとするが、

バーベルがそれ以上動かない。

 

 

そしてとうとう力尽きて、

バーベルが下がってしまった。

 

 

そして補助についてもらった人に

上げてもらい、失敗に終わった。

 

 

最初のラックから外した時点で、

なんだか重さをすごく感じ、

頭の中で瞬間的に「ダメかも」

という感覚が浮かんだ。

 

その間、たった数秒の間だけど、

頭の中ではそんな感覚だった。

 

そして案の定失敗し、僕は落胆した。

 

 

冷静に考えればこんなに短期間に

成功続きだったので、ここらで失敗しても

何ら不思議ではなかったのだが、

この時はもう成功するのが

当たり前の感覚にまでなっていたので、

この失敗に落胆していた。

 

 

僕はすぐまた再挑戦しようと考え、

今回はさすがに体に無理があったと思い、

今度は何回かの軽い胸トレ日を挟んだ後に

挑戦しようと決めた。

 

 

とはいっても結局はたった2回

軽い胸トレ日を挟んだだけで

またMAX挑戦に踏み切った。

 

 

 

再び102.5kgに挑戦する日、

前回の悔しさもあって、

絶対に成功させてやる!

と、意気込んでいた。

 

 

そしてベンチに寝転がり、バーを握って、

力を込めてラックから外した。

 

 

 

「ん?いけるか?」

 

 

前回、この時点でバーベルがズシリと

重い感じがしたが、今回はこの瞬間、

そこまでの感じがなく、

直感としていけるような感じを

瞬間的に感じ取った。

 

 

そして胸まで下して、

グワーっとフルパワーで押し上げた。

 

 

7割くらい上げたところで

また止まってしまったが、

ゆっくりだが最後まで上げ切ることができた。

 

 

 

よし!

 

 

前回の雪辱を果たしたぞ!

 

 

僕は前回の失敗の悔しさを晴らすことができ、

満足した。

 

 

だが、これで満足かと思いきや、

またすぐに今度は

105kgに挑戦しようと決めた。

 

 

続く

僕の筋トレ遍歴11 ベンチプレスの快進撃が始まる

 

筋トレ遍歴シリーズの

前回のあらすじとしては、高校3年生当時、

ベンチプレスのMAXに挑戦して85kgまで

上げられるようになったところまで書いた。

 

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それからまた10レップでの

ベンチプレスをする日々を続けたが、

3ヶ月ほどが過ぎた頃だっただろうか、

またMAXに挑戦してみたくなった。

 

 

以前85kgまで成功していたこともあって、

この時は87.5kgに挑戦してみることにした。

 

 

僕はいつもの通り補助についてもらい

MAXに挑戦した。

 

 

数ヶ月ぶりのMAXだったが、

前回より2.5kg増の87.5kgは

思ったよりも問題なく上げる事に成功した。

 

 

普段の10レップのベンチプレスで

けっこう筋力が増していたものだと

改めて実感した。

 

そしてこの87.5kgの成功に

気を良くした僕は、

ここからMAXに頻繁に挑戦していった。

 

 

そして快進撃が始まる

 

 

 

87.5kgを上げてから1週間後に

今度は90kgに挑戦した。

 

 

バーベルを持った瞬間に

感覚が87.5kgの時と同じように感じ、

上げる時もその時と同じように

押し上げることができた。

 

 

成功。

 

 

90kgを上げることができた。

 

 

ベンチプレスを90kgまで上げると、

なんとなく強くなってきた

という思考を持っていたので尚更嬉しかった。

 

 

この成功に僕は調子に乗ってしまい、

また1週間後に今度は92.5kgに挑戦した。

 

いま思い返してみると、

こんな短期間にどんどん挑戦するなんて

調子に乗りすぎだろうと

当時の僕にツッコみたくなるが、

この時の僕は、勢い付いてしまっていたのか、

さすがに無理かなぁ・・

なんて感覚は全くなかった。

 

とにかくもっと重い重量に

挑戦がしたくて仕方がなかった。

 

そしてそういう思考だからなのか、

92.5kgも、持った瞬間に

いつもと変わらない重量に感じ、

初挑戦で成功した。

 

 

これで僕はさらに調子に乗る。

 

 

次の週にまたMAXに、

今度は95kgに挑戦しようと決めた。

 

一応次のMAXに挑戦する予定の日までに

胸のトレーニング日は1回あったが、

さすがにその日は軽めにして

控えめなトレーニングにしていた。

 

だが、そんな軽めのトレーニングを

している時も、次のMAXの挑戦が

待ち遠しくて仕方がなかった。

 

 

 

そして95kgに挑戦する日。

 

僕はまた迷いなく

同じように渾身の力を込めて

95kgのバーベルを押し上げた。

 

 

そして成功。

 

 

なんと95kgも上げる事ができた。

 

 

これほどまで短期間で成功が続いたのは

自分でも驚いた。

 

 

これまでの10レップでの

ベンチプレストレーニングが

ここまで筋力アップに

効果を出していたのだろうか、

とにかく驚くほど成功が続いた。

 

 

こうなると僕はもう

MAXに挑戦するのが楽しくなってきた。

 

もうすでに次は97.5kgに挑戦しようと

決めていた。

 

それも次の次の胸のトレーニングの日に。

 

そしてまた僕は次のMAX挑戦までに

1回軽い胸のトレーニング日をはさみ、

MAX挑戦の日を迎えた。

 

ちなみにMAXに挑戦した胸トレ日の

次の胸トレ日にMAXをやらないように

していたのは、最低限そうやって

休養を挟もうと考えていた

僕なりのルーティンだった。

 

正直この高校生の時は

そこまで休養のことを

重視していなかった時だったけれど、

それでもさすがに連続でMAX挑戦は

体に負担が大きすぎるだろうと

僕なりの直感でそうしていた。

 

 

そして97.5kgに挑戦。

 

もう勢いづいているので迷いなし。

 

いつも通りバーベルを握り、

ラックから外す。

 

もうこの時点でいつもと同じ重さに感じ、

すでにいけそうな気がした。

 

胸まで下ろし、

いつもと同じようにフルパワーで押し上げる。

 

 

また成功!

 

 

よっしゃー!

 

 

 

もうやる前から行けそうな直感はしたが、

その通り難なく成功した。

 

僕は爽快な気分で

強くなった自分に喜んでいた。

 

 

そしてまた次の次の胸トレ日に

MAX挑戦を決め、

今度はいよいよ区切り?ともいえる

100kgに挑戦してみようと決意した。

 

 

続く

96年1.4東京ドーム大会 その4

 

前回のあらすじ

 

96年の1.4東京ドーム大会は

第九試合まで終了し、いよいよ残すは

メインイベントのみとなった。

 

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メインイベントは

IWGPヘビー級選手権試合、

10.9大会の再戦。

王者である新日本プロレス

武藤敬司選手 対、

挑戦者のUWFインターナショナルの

高田延彦選手の対決。

 

 

高田選手は10.9大会で右膝を故障し、

試合に敗れた雪辱に燃え、

今度こそはという意気込みで

再び東京ドームに乗り込んできた。

 

 

まず両者の入場シーン。

 

 

やはりかっこいい。

 

 

10.9大会もそうだったけど、

この両者は入場だけで

絵になるほど魅力がある。

 

今回も入場だけで

歴史に残ってしまいそうな、

そんな入場シーンだった。

 

 

そしていよいよ試合開始のゴングが鳴った。

 

 

試合開始後はしばらくは

両者ともにグラウンドの攻防が続いていたが、

中盤に武藤選手が倒れている高田選手に、

得意のムーンサルトプレスを放ち、

そしてすかさず腕を極めにいったが、

ここは高田選手がロープまで逃げ、

極まらず。

 

 

高田選手も武藤選手にバックドロップを放ち、

そしてヒールホールドを極めるなどして

やり返したが、武藤選手もここは

ロープに逃げ、極まらず。

 

 

そしてその後、武藤選手が

高田選手の蹴りの連打を捕まえ、

10.9大会で勝敗を分けた

必殺のドラゴンスクリューをお見舞いした。

 

そしてそこから足四の字固めを極めにいき、

会場は大歓声に包まれた。

 

僕も「これで決まった!」

再び武藤選手の勝ちだ!と思った。

 

 

しかし高田選手はなんとかロープまで逃げ、

極まらなかった。

 

 

その後も武藤選手は再び

ドラゴンスクリューを仕掛け、

そして足四の字固めを繰り出すが、

ギブアップを奪うまでには至らず、

試合時間は過ぎていった。

 

 

武藤選手は今度こそはと

またもや高田選手の足を取り、

ドラゴンスクリューを繰り出そうとするが、

高田選手はなんとか耐え、

逆に払い腰で武藤選手を投げた。

 

 

そしてそこから腕を取り、

腕ひしぎ逆十字固めを極めに行った。

 

僕も やばい!と思ったが、

武藤選手はなんとかロープまで

逃がれることができた。

 

僕は一瞬ホッとしたが、

武藤選手のダメージは明らかだった。

 

再び立ち上がった武藤選手に

高田選手は蹴りの連打を放ち、

武藤選手はまたダウンした。

 

そしてダウンした武藤選手の腕を取り、

高田選手は再び腕ひしぎ逆十字固め

極めにいった。  

 

 

僕は、

「なんとかロープまで逃げてくれ~!!」

と思いながら祈っていたが、

逃れることはできず、

ついには武藤選手がギブアップし、

高田選手が勝利した。

 

 

ゴングが鳴り響いて

高田選手の曲が流れ出した瞬間、

僕は茫然と立ち尽くしてしまった・・

 

 

負けた・・・

 

 

武藤選手が負けた・・

 

 

高田選手が雪辱を果たした格好になったが、

これはIWGPヘビー級選手権試合。

 

チャンピオンベルトは

高田選手のもとに行ってしまうことになる。

 

IWGPのベルトが

他団体の選手のもとに行ってしまった。

 

僕は放心状態になって、

しばらく現実を受け止められなかった。

 

 

 

試合後、越中選手がリングに登場し、

マイクで高田選手に宣戦布告するなど

大変な騒ぎになり、

高田選手も「橋本―!、橋本―!」と

橋本選手を呼び、挑発をして、

リングに上がった橋本選手と睨み合うなど、

熱い盛り上がりを見せ、

この大会は終了した。

 

 

とにかくこの大会は10.9大会に続き、

かなりの強い印象で僕の記憶に

今でも残っているのだが、

それは武藤選手が敗れ、IWGPのベルトが

高田選手(他団体)のもとに行ってしまった

というショックが大きかったことも

その理由のひとつだ。

 

 

あれから26年も経ったのかぁ、

今は2日連チャンで

ドーム大会が行われるなんて

凄い時代になったものだ。

 

もしあの時代に2日連続で

ドーム大会が行われていたら、

2日とも観に行ってただろうなぁ。

 

まぁチケットが手に入るかどうか

わからなかっただろうけど、

少なくとも2日とも行きたい!

と確実に願っていただろうなぁ。