1日1食(たまに0食)、気まぐれ断食男のブログ

日々食事は1日1食で、たまに0食という変わり者のブログです。思ったことを日々気まぐれに書いていきます。

スーパースターだった兄 その1

 

 

過去の記事でもさんざん登場しているので

今更だが、僕には2つ年上の兄がいる。

 

僕は物心がつく前から兄に

いつもくっ付いて歩いて、

何でも一緒に行動してきた。

 

兄が友達と遊ぶ時も、

僕も一緒に混ざって遊んだし、

出かけるときも

一緒に付いていったりもしていた。

 

いわば兄は僕の人生には

欠かせない存在なのだ。

 

その兄だが、とにかく人気者、

幼い頃から大人になってからも

ずっと人気者である。

 

僕は弟として

幼い頃から身近でずっと見てきたが、

とにかく男女問わず人が寄ってくる。

どこの場においてもだ。

 

例えば幼稚園時代は

マンションに住んでいたが、

同じマンション内の

同じ年頃の女の子数人に好かれて、

マンション外でも

近所に住む女の子に好かれて、

幼稚園に行けば

クラスメイトの女の子に好かれて、

小学校に入学すると

またクラスメイトの女の子に好かれて、

家まで探されて訪ねて来られたこともある。

 

 

ある時に兄の同級生から聞いた

エピソードによると、

ある日、クラスで席替えの日があって、

とある女の子が、席の位置に不満で、

「先生!私、〇〇君(兄の名前)

の隣がいいです」と直訴したそうだ。

 

そして当時の同じマンションにいた

兄のクラスメイトのとある女の子は

兄にぞっこんで、

あまりにその子が兄の事が好きなので、

その子の母親も、うちの母に

仲良くしてもらえるように頼み込んできた。

 

バレンタインデーには

誰よりも早く渡したいという思いらしくて

その子は、毎年朝早く、

まだ僕らが寝ている頃にピンポーン

と手作りチョコレートを持って訪ねてきた。

 

そのモテぶりを弟として間近で見ていた僕は、

 

「お兄ちゃんの何が

そんなにいいんだろうなぁ・・」

 

といつも疑問に思っていた。

 

 

兄が小学3年生になる少し前に、

僕ら一家は引っ越すことになり、

兄は小学校を転校することになった。

 

新たに転校した小学校で兄は、

すぐに友達もでき、

そしてすぐさま人気物になった。

 

家にはしょっちゅう友達が遊びに来るし、

この転校先の小学校でも女の子にモテた。

 

兄は小学生時代にいったい何人の女の子に

告白されたのだろうと思うほどだ。

 

ラブレターをもらった数も多かったが、

兄も子供だったからなのか、

特に気にすることもなく

そのラブレターを

僕に見せてくれたりもしたが、

そんなラブレターなど

その当時も今でも

一度も貰ったことのない僕は

羨ましいどころではなかった。

 

そして過去記事でも紹介したが、

小学生時代のバレンタインデーの日には

我が家はかなり忙しい。

 

dannjiki835.hatenablog.com

 

 

 

もちろん忙しい羽目にあう原因は

言うまでもなく兄なのだが、

とにかく家のインターフォン

鳴りやまない。

 

しかも兄は訪問者が来ても、

恥ずかしがってか面倒臭がってなのか

自分では対応しない。

 

仕方なく僕が受け取る係なのだが、

とにかく次から次へと来るので忙しかった。

 

対する僕のもとへは

チョコレートはゼロなので、

この兄弟格差はなんなのだろうと、

相当な劣等感を感じていた。

 

この頃兄は少年野球チームに入っていて

野球をやっていたのだが、

その野球チーム内でも人気者だった。

 

とにかく人が寄ってくる。

 

先輩からも特別可愛がってもらえて

面倒を見てもらえるし、

同級生選手らも寄ってくるし、

後輩からも特別尊敬されて

大勢の後輩が慕ってきていた。

 

これは人徳というものだろうが、

確かに思い出してみると

人気が出る要素や活躍をしていた。

 

まず兄は基本的におちゃらけるのが好きで

トークや行動にユーモアがあっておもしろい。

 

僕も兄のユーモアやジョークに

子供の頃はよく笑わされた。

 

それから運動神経が良くて、

走るのが速い、いわゆる俊足だったし、

野球をやっていて、

その実力もチームで一番の実力だった。

 

足の速さのエピソードでも、

小学生時代でも中学生時代でも

目立つような、みんなの印象に残るような

わかりやすい活躍をしていた。

 

特にその活躍が目立ったのは運動会だが、

その内容は次回詳しく書いていく。

 

 

続く