1日1食(たまに0食)、気まぐれ断食男のブログ

日々食事は1日1食で、たまに0食という変わり者のブログです。思ったことを日々気まぐれに書いていきます。

スーパースターだった兄 その2

 

前回の記事のラストに書いたが、

兄はみんなの印象に残るような

わかりやすい活躍もしていた。

それも人気の出る原因の一つだったのだろう。

 

 

dannjiki835.hatenablog.com

 

 

 

 

特にそれが顕著だったのは、運動会だ。

 

あれは兄が小学校の

6年生の時の運動会での

最終プログラムである

4、5、6年生高学年男子の、

リレーの選手達の混合チームの

対抗リレーでのこと。

 

チームは赤、白、黄、青の

4チームで、兄は白組のキャプテンとして

アンカーを走ることになっていた。

 

リレーは白組が最下位のまま

アンカーの兄にバトンが渡された。

 

しかしここから兄が一人を抜き

3位に躍り出て、その後もう一人抜き、

2位になった。

 

そして先頭を走る赤組に

ゴール間近でせまってきた。

あと少しで一位に並ぶ、

でもゴールはもう目前、

まわりは大歓声、そしてゴールの瞬間、

写真判定並みに僅かに兄が赤組を追い抜き、

最後の最後で白組がトップでゴールイン。

 

その瞬間も大歓声に包まれた。

 

まわりで見ていた僕の同級生達も、

「やったー」「すげー」「速ぇー」

と驚きと尊敬のまなざしを向けていた。

 

やはりこうなると弟としては鼻が高い。

 

そういう部分では弟として

いい思いをさせてもらった。

 

兄の人気ぶりは

中学に入っても衰え知らずで、

ここでもまた男女問わず人気者だった。

 

女子からはいったい何人に告白されて、

いったい何人の女子から

ラブレターをもらったんだという感じだ。

 

特にそのなかでも

異常なほど熱狂的な女の子がいて、

兄にストーカーのように付きまとっていた。

 

その子の母親がうちの母親に

「ごめんねぇ・・うちの子、

お宅の子の事が好きで好きで

しょうがないのよ・・」と謝っていた。

 

これだけモテていても、

当の本人は特に気にもとめてない様子で、

中学時代も特に彼女は作っていなかった。

 

中学時代も野球で忙しかったこともあるが、

その野球でも活躍していたために、

同級生や後輩の男子からも

尊敬のまなざしで見られて慕われていた。

 

学校にはいわゆる不良といわれる

ヤンキー集団がいたが、

その不良達は「ルーキーズ」じゃないが

みんな野球が大好きで、

その野球で頭一つ抜けていた

実力を持っていた兄のことを尊敬し、

常に一目置いた態度で接していた。

 

野球の事も兄に質問したり、

こういうときはどうしたらいいか

教えてくれと、

いつも野球の事を兄に教わっていた。

 

本当は不良たちは、兄もグループに入れて

一緒に行動したかったみたいだが、

その不良グループのボス、

番長的存在の人が、

「いや、あいつは甲子園を目指している。

俺らと行動して何かあったら大変だ、

あいつは俺らの希望の星なんだ、

俺らのグループに入れちゃだめなんだ。」

といって、仲良くはしていたが

あくまで兄をグループに入れるのは

控えていた。

 

なんとも男気のある番長だ。

 

僕は兄と2つ年が違うので、

僕が中学に入学した時には

兄は3年生だった。

 

この通り兄は同級生から慕われていたので、

僕は中学に入学した時に不安はあったが、

2コ上の3年生に兄と

兄の友達がたくさんいて、

僕も一緒に遊んだこともある親しい人が

たくさんいたことは安心感につながった。

 

兄がこれだけ学年のなかで有名人だと、

その弟が入学してきた、と聞くと、

どんな弟なのだろうと、興味深々らしく、

1年生の時は、3年生がしょっちゅう

僕の事を教室まで見に来ていた。

 

下校時に話しかけられることもあった。

 

だけど僕は知らない先輩から

声をかけられても

気の利いた対応もできずに、

「あぁ・・はい、どうも・・」

と受け流すくらいしかできなかった。

 

ただ不良グループの人達にも

話しかけられた時にはちょっとビビった。

 

特に番長に「おい、〇〇の弟!」

と、下校時に呼ばれた時はドキッとした。

 

結局はなんともない会話だったのだが、

1年生の時は「3年生」というだけで

怖いイメージがあるのに、

その学年をシメている番長に

呼び止められたら、そりゃあビビる。

 

後年になって兄に聞いたが、

この時の番長は、

別に僕に用があったわけじゃないが

僕と喋るきっかけが欲しかったとのこと。

 

こんな経験も

のような兄がいてのことなのだ。

 

 

続く