1日1食(たまに0食)、気まぐれ断食男のブログ

日々食事は1日1食で、たまに0食という変わり者のブログです。思ったことを日々気まぐれに書いていきます。

中学の時の合唱コンクールの思い出

 

あっという間に卒業シーズンの季節になった。

 

 

この卒業シーズンでは、

色々な思い出があるけれど、中学の時には

合唱コンクールというのが毎年あったなぁ。

 

全校で、各クラス、課題曲と自由曲の

2曲を歌うというもので、

それで先生方の採点や

別学年の生徒の審査員が判定して

学年ごとに順位を決めるというもの。

 

 

だいたい毎年3月の初旬頃に

行われていたけど、

本番までに練習が何度もあって、

何回歌わされたかわからない。

 

生徒は練習の時も

ただ歌っていた(こなしていた)

だけなので、正直それで

上手くなったのかは疑問だけど、

とにかく練習はたくさんやらされた。

 

 

僕は1年生の時と2年生の時と

3年生の時で、

それぞれ思い出は記憶に残っている。

 

思い出といっても

そんなにいい思い出として

残っているわけではないけれど。

 

 

1年生の時は、

ピアノを担当していた女の子が、

本番近くなったある日に体調を崩し、

何日間も学校を休んでいた。

 

本番もその子が不在だった場合、

急遽誰かが代わりに

ピアノを担当しないといけないのだが、

ギリギリのところで彼女は復帰し、

なんとか本番に間に合った。

 

しかし、いざ本番が始まると、

ずっと休んでいて感覚が鈍っていたのか、

最初の歌の出だしのところの演奏でミスって、

みんな歌い出しがバラバラになってしまった。

 

それが尾をひいたのかは不明だが、

僕らのクラスは最下位になってしまった。

 

 

ピアノを演奏していたその子は泣いていた。

 

もちろん誰も彼女を責める人はいなかったし、

僕も別に彼女を責める気は

さらさらなかったのだが、

彼女自身は責任を感じたのか、

ずっと泣いていた。

 

これが1年生の時の合唱コンクールの思い出。

 

 

 

2年生時は、

ちょうどいじめられていた時だったので、

その時期自体が嫌な思い出だけど、

合唱コンクールの練習の時は、

いつも

「お前、ちゃんと声出してんのかよ!」と、

いつも僕をいじめていたNに言われていた。

 

僕はもちろんそんな事言われないように

しっかりと声を出して歌っていた。

 

でもいつもいつも言われる、それが嫌だった。

 

だから2年生の時の合唱コンクール

あまり思い出したくない。

 

3年生の時の合唱コンクールでは、

課題曲で「大地讃頌」を歌ったのだが、

普段の練習の時から、

反抗して歌わない生徒が数人いたのだ。

 

3年生ともなると、生徒の中には、

そういった反発した生徒もけっこういるのだ。

 

多分本人達はそういうのが格好いいと

思っていたのだろうが、

いつも練習の時もまったく歌わず、

ムスっとして突っ立っているだけ。

 

 

この歌は女子がソプラノ、アルト、を担当し、

男子がテノール、バス、を担当するのだが、

男子のバスのグループに

たまたまそういった

反抗して歌わない生徒が多かったため、

バスの部分がいつも欠けているような状態で

練習していた。

 

先生が注意しても、もちろん聞かず、

こんな調子で本番を迎えたら

最下位確定なのは目に見えていて困っていた。

 

 

 

そして本番の日。

 

やはりそういった生徒達は、

本番も歌おうとせず、

口も開けようともしなかったため、

急遽テノールの生徒数人が

バスの部分を歌うということで、

なんとか形になった。

 

しかしなんとか形になっただけで、

仕上がりとしては当然最低だった。

 

もちろんそれが原因だと思うが、

僕のクラスは最下位に終わった。

 

これが3年生の時の

合唱コンクールの思い出だ。

 

あれからかなりの時が流れたが、

その生徒達は今、その当時の事を

どう思っているのだろうか?

 

今頃悔いが残って

後悔しているのではないだろうか。

 

僕も合唱コンクール

その当時から好きではなかったが、

一生懸命歌った。

 

今ではそれでよかったと思っている。

 

あの時、僕も格好つけて

ボイコットのように歌わないでいたら、

たぶん今頃になって

後悔していただろうと思う。

 

その当時はそれが格好いいと

思ったかもしれないけど、

この年齢になると、

そんなことしないで

一生懸命歌ってよかったと思っている。

 

あの時、微力ながら全力を尽くしたからこそ、

悔いが残らずに済んだ。

 

それは自分の中で

今でも間違ってないと言える。