1日1食(たまに0食)、気まぐれ断食男のブログ

日々食事は1日1食で、たまに0食という変わり者のブログです。思ったことを日々気まぐれに書いていきます。

いじめられていた中2の頃 3

 

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続き

 

 

いじめが酷くなっていた頃、

学校で宿泊学習の林間学校があり、

当然行きたくなかったが、

避けられず、仕方なく行くしかなかった。

 

 

林間学校前日のこと、

この日も普通に授業があったが、

授業中、シーンと静まっていた教室で、

突然Nが、

「〇〇(僕の名前)って誰?」

「そんな奴いた?」といきなり言った。

 

まわりのクラスメイトは爆笑。

 

僕を見ながらみんな笑っている。

 

僕は胸がズキーンと痛くなる思いだったが、

 

僕は「は、は、ははは・・・」

と必死に笑顔を作って笑っていた。

 

顔で笑って心で泣いていた。

 

 

ただでさえ苦手な宿泊学習。

 

しかもいじめに遭っていた真っただ中。

 

その前日にこんなことがあったため、

ますますテンションも下がり、

心は落ち込んでいた。

 

 

林間学校当日。

出発の時、バスでの移動なのだが、

運悪く、僕が座った座席は通路側の席で、

その斜め後ろの通路側の席にNが座った。

 

僕はNのほうを見ないようにしながら、

必死にかかわらないよう努力していた。

 

しかし、道中で

突然頭にバシーン!!と強い衝撃を受けた。

 

Nが僕の頭を突然思い切り叩いたのだ。

 

「いたたたたた・・・」と頭を押さえながら

Nのほうを振り向くと、Nは、

 

「ごめーん、

頭にゴキブリがとまってたからさぁ」

とヘラヘラ笑っていた。

 

その時もまわりの目が恥ずかしかった・・

 

とにかくこの3泊4日は

とてつもなく長く感じた。

 

「早く帰りたい・・」

 

林間学校の最中ずっと頭にあったのは

常にそれだけだ。

 

宿舎ではなんとかNとは別の部屋になったが、

ドアは閉めてはいけない決まりだったので、

みんな別の部屋に行き来していて、

Nも僕の部屋に度々やってきたりもした。

 

僕が同じ部屋のクラスメイトと

トランプをやっていた時、

またもや頭にドスーン!!

と強い衝撃と痛みとともに

目の前が一瞬真っ暗になった。

 

Nが枕を振り上げて、

思いっきり僕の頭をめがけて

振り下ろしたのだ。

 

突然枕で頭を殴られたので、

目の前が一瞬真っ暗になると同時に

思わずゴトっと倒れ込んでしまった。

 

Nは横目でチラっと見た後に去っていった。

 

一緒にトランプをやっていたクラスメイトも

一瞬言葉を失っていたが、

彼らもNのことが怖くて

ほぼ見て見ぬふりをしていた。

 

もうはっきり言って早く帰りたかった。

 

こんな宿泊学習は何も楽しくなかった。

 

ただただ辛いだけで過ごしていた。

 

そんな地獄の林間学校も

ようやく最終日となり

学校に到着して、解散の瞬間に

ようやく解放された感じがした。

 

とにかく終わってホッとした。

 

ホッとしたのはいいが、

ただ単に林間学校が終わっただけ。

 

これからまた毎日学校に行く日々は

変わらないのだ。

 

 

それからもNから嫌がらせ、暴力、

そして言葉の暴力を受け続けた。

 

他のみんなからの嫌がらせも続いた。

 

 

僕は教室では極力目立たないようにしていた。

 

授業では、問題の答えがわかっていても

絶対に手を上げないようにしていた。

 

 

本当にこの時は学校に行くのが憂鬱だった。

行きたくなかった。

 

本音を言えば登校拒否をしたかった。

 

でも僕は学校に行き続けた。

 

それは親にいじめを受けていることを

知られたくなかったし、

少しでも休むと、また登校した時に

何を言われるか・・

 

その不安で頭がいっぱいで、

こんな状況でも休まず学校に行き続けた。

 

親に知られたくなかったのは、

心配性の母親を心配させたくなかったし、

父親に関しては、

「そんなのは自分で克服して

強くならなきゃだめだ!」

「そうでなきゃ世の中渡っていけない」

などという考えの人で、

テレビでいじめを苦に自殺した人の

ニュースなどを見ると、

テレビに向かってクドクドと

説教を言い出すような人だ。

そんな人にはとうてい相談もできない。

 

だから僕は両親には

いじめのことを言わなかった。

 

自分一人で孤独に耐え続けていた。

 

 

続く