1日1食(たまに0食)、気まぐれ断食男のブログ

日々食事は1日1食で、たまに0食という変わり者のブログです。思ったことを日々気まぐれに書いていきます。

自律神経失調症と診断された小学生時代 その2

 

前回の記事、

夏休みの宿泊学習の前日に体調が悪くなり、

夜中に嘔吐してしまったところまで書いた。

 

dannjiki835.hatenablog.com

 

 

今回の記事はその宿泊学習当日の朝から。

 

 

 

翌朝、目が覚めると

やはり気分はよくなかった。

 

なんとか父親が作ってくれた朝食を

少し食べて、集合場所である

学校に向かった。

 

集合場所の学校には着いたものの

気分は良くなかった。

 

同級生達は宿泊学習というイベントに

ワクワクしてみんなテンションが

高かった。

 

そろそろ出発なので、整列して、

校長先生やらPTAの会長の話を聞く。

 

 

しかし整列している最中に

胃の不快感と吐き気が襲って来た。

 

こんなんで3日間やっていけるのか?

と不安になり、

出発直前になって耐えきれなくなり、

先生に症状を伝えた。

 

すぐさま体温を測らされ、

またピピピと鳴った体温計を

恐る恐る見ると、37.6度だった。

 

 

先生方がこれではだめだと判断され、

僕は帰らされることになった。

 

父親が迎えに来て、

僕は父と一緒に自宅に帰った。

 

帰ってからはずっと布団に入って

横になっていた。

 

お昼になり、父が弁当を食べろと言って、

近所のおばさんに頼んで作ってもらった、

宿泊学習の

行きの電車の中で食べるはずだった

お弁当を食べることにした。

 

こんなときに母がいれば

お粥でも作ってくれたのかもしれないが、

父はそういうことができなかった。

 

僕は弁当を食べたが、やはり食が進まず、

半分くらいしか食べれなかった。

 

食べた後、また布団に入ったところで、

父が、

「用事があるからちょっと出かけてくる」

といって出かけたので、

僕は家で一人となった。

 

しばらくまた横になっていたら、

再び吐き気が襲って来た。

 

しかし家では僕しかいない。

父は出かけているし、兄もいない。

 

今みたいに携帯電話のない時代だったので、

連絡は取れない。

 

小学生の僕はどうしようもない不安感と、

吐き気の苦しさで、もがき苦しんでいた。

 

結局耐えきれなくなり、嘔吐してしまった。

 

その後ぐったりして横になってというより、

半ば倒れたような状態で、

意識もボーっとしているところに

やっと父が帰ってきた。

 

父に状況を伝えると、

病院に行こうということになった。

 

もう診療時間は過ぎている頃だったので、

救急外来で診てもらい、

診断はおそらく胃炎ではないか、

ということで、胃の薬などを処方された。

 

しかしこの日以降も胃の不快感は続き、

ちょうどこの頃、

母が入院中ということもあり、

母の親である祖母と、

母の妹である叔母が、週に何回かずつ

食事を作りに来てくれていた。

 

その時に僕の食事は

お粥をずっと作ってもらっていた。

 

しかしそのお粥の食事でも胃の不快感を感じ、

吐き気は頻繁に起こっていた。

 

お粥すら僅かしか口にできず、

祖母や叔母が来ない日は、

父が買ってくる菓子パンを

少し食べることができるくらいで、

5年生にして体重は24キロほどしかなく、

身長もクラスの男子で一番低いのもあって

まさにチビでガリガリという体型だった。

 

時には耐えきれない吐き気の時もあり、

その都度父に伝え、

色々な病院に行って検査をした。

 

しかし、どこの病院で検査をしても

特に異常は見つからなかった。

 

そしてある日、

とある大きな病院で診断が下された。

 

そこで出された診断は、

自立神経失調症だった。

 

つまり精神的なものから来る

病気だというのだ。

 

 

続く