1日1食(たまに0食)、気まぐれ断食男のブログ

日々食事は1日1食で、たまに0食という変わり者のブログです。思ったことを日々気まぐれに書いていきます。

異常に寒かった93年の夏

 

なんだか最近天気がパっとしなくて、

どんよりした天気が多いなぁ。

 

今年は梅雨入りが早まるかもしれないと

ニュースでやってたけど、

ほんとかんべんしてほしいよ。

 

梅雨入りが早くても、

明けるのが早いとは限らないし、

 

93年の事例があるから不安でもある。

 

そう、93年。

こんなどんよりした天気のこの時期に

決まって思い出すのは

1993年の夏、つまり平成5年の夏である。

 

 

この年は記録的な寒さな夏、

いわゆる「冷夏」だった

 

この年、梅雨がなかなか明けず、

というか明けたのか?

 

僕の感覚では、梅雨が明けないまま

秋に突入してしまったような印象で

記憶に残ってしまっている。

 

とにかくこの年の夏は異常なほど雨が多く、

そして寒かった。

 

6月という梅雨の時期はもちろんのこと、

7月になっても8月になっても

連日雨ばかりで、気温も低い日が続いた。

 

 

この年は現在の天皇陛下

雅子様のご成婚の年。

 

6月9日には結婚の儀が行われた。

 

その日も小雨がパラついている日だったが、

この年はまさにこんな天気ばかりの夏だった。

 

夏にもかかわらずみんな長袖の服を着たり、

時には上着を着たりもしていた。

 

当時小学生だったが、

学校のプールの授業も

猛烈に寒かったのを思い出す。

 

さすがにあまりにも

気温とプールの水温が低すぎて、

プール授業が中止になることも

しばしばあった。

 

 

この年の夏はこんな天気だから

作物にも影響が出た。

 

全国的に不作で、特にお米が

例年を遥かに下回る収穫量で、

後の米騒動に発展するほどの米不足に陥った。

 

世間の米不足を解決すべく、政府は外国から

お米を輸入することになったが、

特に印象に残っているのがタイ米だ。

 

当時幼かったから、

どのようなお米が流通することになるなどの

詳しいことはわからなかったが、

「国産米が食べられなくなって、

お米はタイ米を食べる事になる」

という周りの騒ぎを聞いて、

「え?そうなの?」と当初は

そこまで気にしてはいなかった。

 

しかし、タイ米を炊いて食べた人達から

「パサパサしていて粘り気がなく、

あまりおいしくない」との声が

あちらこちらから聞こえてくるに従って、

僕も「嫌だなぁ・・」、という気持ちに

だんだんなってきた。

 

学校の給食もタイ米になるかもしれない

という噂もまわり、

ますます不安になってきた。

 

自宅のお米も残り少なくなってきて、

いよいよタイ米を食べる事を覚悟した頃に、

東北にいる父の兄である伯父さんが

米のことを心配してくれて、

国産米を数十キロ送ってくれた。

 

東京では店頭に皆無だった、もしくは

ありえないほどの高額になっていた国産米を

数十キロも目の前にして、

僕はこのお米が宝石に見えた。

 

この時期に国産米を

たくさん手に入れる事ができて、

テンションがあがり、

学校でも友人や先生に自慢しまくった。

 

結果的には僕の通っていた学校の給食では

タイ米を使う事はなく、

ずっと国産米を使用することができたのと、

自宅でも、伯父さんのおかげで、

ずっと国産米を食べる事ができたので、

僕はタイ米を食べることはなかった。

 

今から思えば、

1回くらいは話題作りのために

タイ米を食べる体験をしても

よかったかもしれないとは思うが、

それでも国産米を

安心して食べる事ができたのは有難かった。

 

こういう経験があるから、

梅雨の時期になると、

いつも「この梅雨はちゃんと明けるのか?」、

と不安になることがある。

 

また梅雨が長引いて

お米が不作になったらどうしよう・・

と、いつも作物への影響を心配してしまう。

 

あんな米不足には二度となってほしくない。

 

特に僕はお米が大好きで、

今は、当時以上にお米が好きすぎて、

これがないと生きていけない。

 

一応政府はこの93年の米騒動の経験から、

備蓄米の完備を徹底するなどの

対策を行っているそうだが、

とにかく不作にはなってほしくない。

 

今は外国のお米も

美味しいのかもしれないが、

やはり国産米がいい。

 

猛暑も苦痛だから

冷夏という涼しい夏も悪くはないが、

雨が多いのは嫌だ。

 

だから今年も天気が

あの年のようにならないように

僕は常に祈っているのだ。