1日1食(たまに0食)、気まぐれ断食男のブログ

日々食事は1日1食で、たまに0食という変わり者のブログです。思ったことを日々気まぐれに書いていきます。

ゼロ食断食明け

前回の記事で書いた通り、

昨日はゼロ食、つまり食事をしていない。

 

水だけ飲んで過ごした。

 

 

今日は断食明けである。

 

 

昨夜は寝る時に寒くて

久しぶりに暖房器具を使ってしまった。

 

これも断食の時のいつものことで、

たいていは寒がりになる。

 

そしてやはりなかなか寝付けない。

 

寝たと思っても

朝までちょこちょこ目が覚める。

 

これもゼロ食時にはいつものことだ。

 

 

早朝に胃に不快感があった。

 

なんともいえぬ不快感だ。

 

それから起床時から普段より脈が少し速い。

 

しかしこれらのことも百何十回と

ゼロ食断食をしていると、

腐るほど経験してきた。

 

だから「またいつものか」と

あまり気にもしなかった。

 

とはいえ、不快感があるうちは

食事はまだしたくない。

 

もっと良い状態で食事をしたいので、

少し待つことにした。

 

 

午前中用事があったので外出した。

 

やはり前日水しか飲んでないからか?

かなりの脱力感がある。

 

ちょっと動いただけでも

息があがる感じがした。

 

だが、食べていないせいとも限らない。

 

というのも、

今までのゼロ食明けの中でも

毎回こんな感じとも限らない。

 

前日に水しか飲んでいないにもかかわらず、

脱力感も少なく、

体が割とよく動く時もあった。

 

だから正直いって体の中で

何が起きているのかはわからない。

 

栄養不足なのか、

はたまた断食時に表れるという

好転反応というものなのか。

 

 

ともあれ、11時頃になると

不快感はほぼ消えて、

それじゃあそろそろ食べる準備をするかな

ということになった。

 

 

長期の断食明けではないので

基本的になんでも好きな物を

食べようと思っているし、

過去にもそうしてきたわけだが、

 

最近はせっかく断食で体の中が

きれいになったかもしれないから、

一発目の食事は、割とさっぱりとしたものを

食べようという事が多く、

今日も、鶏の胸肉の茹でたものと

茹で野菜と白米にした。

 

この組み合わせの献立も日常茶飯事なのだが、

とにかく白米が好きな僕は、

もちろんメインは白米だ。

 

 

準備を終え、いよいよゼロ食明け

一発目の食事だ。

 

 

まずはもちろん白米から口にする。

 

 

口に入れて、

全神経を口に集中させながら噛みしめる。

 

 

「うまい・・、うますぎる・・」

 

 

 

思わずため息が漏れる。

 

 

 

米の甘さ、味がよくわかる。

 

 

僕は普段でも

何回もよく噛んで食べるのだが、

そうやって噛みしめていると

お米の味がよくわかる。

それがゼロ食明けとなると尚更だ。

 

塩気も何もない状態だが、

米の味が美味しくて

二口目も三口目も白米だけを口にする。

 

もう夢中だ

 

おかずも用意したことなんて忘れている。

 

白米しか目に入ってない。

 

 

 

「うまい、ほんと~にうまい!」

 

 

 

正直言って今食べているお米は

高級米なんかではない。

 

スーパーで売っている安いお米だ。

 

 

たまにうちに来る兄なんかは、

その時にうちのお米を食べて

あまり美味しくないと言っていた。

 

しかし僕はこれが美味くて仕方ない。

 

 

「空腹が最高の調味料」というものを

最高に感じながら、よく噛んで味わう

という食べ方が、その安いお米を

最高のご馳走にしてくれている。

 

 

白米だけを食べ続け、

途中で塩気が欲しくなったら

醤油を少し口にする。

 

そしてまた白米を堪能する。

 

ふと気が付くと、

おかずの鶏胸肉を食べずに白米だけで

2合近く食べてしまっていた。

 

このまま白米だけで

最後までいけそうだったが、

鶏胸肉もせっかく用意したので

胸肉も食べ始めた。

 

なんだか食べた瞬間すでに

脇役という感じがしてしまった。

 

白米が美味すぎて、おかずはほんとに

脇役に成り下がっていってしまっていた。

 

 

結局おかずは少ししか食べず、

40分くらいして

ほぼ白米メインの食事が終了した。

 

 

大満足である。

 

 

ほぼお米だけで、

しかも安いお米でここまで大満足できる人は

現代の日本では

もう皆無なのではないだろうか。

 

 

現代でも、もっと「空腹」というものを知れば

食事の美味しさや楽しみが出てくると思う。

 

 

逆に言えば、空腹というものを

知ることがないくらい食べることができる、

恵まれた、

そしてありがたい世の中なのだろう。