1日1食(たまに0食)、気まぐれ断食男のブログ

日々食事は1日1食で、たまに0食という変わり者のブログです。思ったことを日々気まぐれに書いていきます。

小学校の思い出1 入学式の記憶

 

前回の記事で入学式の時の

写真のエピソードを書いたら

小学校の入学式の時の記憶が蘇ってきた。

 

といってもさすがに6歳の時で、

物心もたいしてついていない時だったので、

事細かには覚えてないけど、

割と記憶力の良い方だと自負している僕は、

ちょいと思い出してみた。

 

 

 

入学式当日。

 

その日は晴れていて良い天気だった。

 

 

この日入学の僕と、

2つ年上の3年生の兄の転校の日だった。

 

どういうことかというと、

僕の家族は、この少し前に

隣町から引っ越してきた。

 

だから引っ越してきた当初は

その時に僕は幼稚園卒園間近、

兄は小学2年生の終わり頃、

という状態だった。

 

もう新年度が近い時だったので、

新年度から、引っ越してきた

この地元の小学校に通う

ということに決まった。

 

だから僕はちょうど入学の時だったので、

新入生として最初からここの小学校で。

 

兄は、隣町の小学校から転校して、

ここの小学校に、

3年生の最初からスタートする、

ということになった。

 

 

入学式当日、兄は転校生として

校長室で説明などを受けて、

新入生の僕は、

まず学校の玄関で手続きをして、

在籍するクラスを確認し、

6年生が手を引いてくれて

教室まで案内してくれる。

 

1学年2クラスしかない

少人数の学校だったけど、

僕は1年1組だった。

 

 

6年生に教室まで案内され、

自分の名前のシールが貼ってある

机の所に行き、席に座った。

 

机には道具箱と

通学用の黄色い帽子が置いてあった。

 

道具箱には鉛筆やノリや消しゴムや

ノートなど文房具が入っていた。

 

 

隣には赤い服を着た女の子が

すでに着席していた。

 

僕の席の斜め左前の席には、

恰幅の良い女の子が

デーンと足を広げて座っていた。

 

僕はそれがなんか印象的だった。

最初から堂々としているその姿に

なんか圧倒された気がした(笑)

 

 

 

しばらく席で待っていると、

担任の先生が入ってきた。

 

30代後半の女性教師だった。

 

でも僕は安心した。

 

後から聞いたけど、

母もこの時担任の先生が女性だったことで

ホッとしたらしい。

 

というのもこの当時の幼い僕が、

これまで幼稚園でも

先生はすべて女性だったし、

小学生になっていきなり

担任の先生が男性教師では、

僕が怖がってしまうのではないか

と、心配していたらしい。

 

母らしい気遣いだが、

僕自身も良かったと思っていた。

 

 

 

担任の先生から軽く学校の説明を受けて、

入学式が始まるので体育館に移動する。

 

 

体育館では、「新入生入場~」と、

音楽に合わせて手拍子が鳴る中、新入生は、

教室内の隣の席の子と手をつないで入場する。

 

そして椅子に着席して、入学式が始まる。

 

 

校長先生の挨拶や、来賓の挨拶、

在校生は2年生と6年生が出席していて、

2年生が1年先輩として

僕たち新入生に歓迎の劇を披露してくれた。

 

 

そして担任の先生から一人ずつ名前を呼ばれ、

みんな大きな声で返事をしていく。

 

 

最後に2年生6年生の在校生が

校歌を歌ってくれて、入学式は終了。

 

 

一旦教室に戻った後に、

保護者も一緒に教室に来て、

担任の先生から説明を受けた後に、

再び体育館に行き、

担任の先生と校長先生と

保護者とクラス皆での集合写真を撮った。

 

その際に集合写真の位置を決める時に

背の順で位置を決めるので、

6年生が背を見て順番を決めていた。

 

体が小さく、チビだった僕を見た6年生が、

 

「あ、この子が一番小さいね」といって

僕を一番先頭にさせた。

 

僕はクラスの背の順で一番前となった。

 

ちなみにこれ以降、背の順で

ずっと一番前を死守し続けて(笑)、

6年生の時に初めて

前から2番目になった時まで

ずっと背の順で一番先頭、

前へならえで腰に手を置く状態だった。

 

 

というわけでこの時の集合写真でも

最前列で校長先生の隣に座っての

写真になった。

 

 

その写真撮影の時に僕の隣に座った男の子が

僕に話かけてきた。

 

「僕の家ねぇ、学校の真ん前なんだよ」

 

 

どうやら学校のすぐ目の前に

住んでいる子らしい。

 

へぇーそうなんだーと思っていたら、

そのまた隣の男の子も話に加わってきた。

 

 

「僕はねー、札幌から来たんだよ!」

 

なんと直前まで札幌に住んでいて、

この入学式の直前に

東京に引っ越してきたらしい。

 

僕はこの時は正直札幌がどこにあるのかも

わからない状態だったが、

なんとなく話の雰囲気で

遠くから来た、ということだけはわかった。

 

ただこの時の僕は、

もうすでに友達ができたような気がして

嬉しかったことは覚えている。

 

 

そんな感じで入学式は終了し、

ここから小学校生活が

スタートしたわけなんだけど、

僕は新入生として最初からスタートしたから

いいとして、兄は転校生として

スタートしたから、最初は嫌だったらしい。

 

でも兄はすぐに友達もできて、

しかもあっという間に学年の人気者になった。

 

このへんは兄の凄い所だと思う、

僕には無い羨ましい能力だよなぁ。

小学校の入学式の写真に父が犯したミス

 

4月・・

 

といっても、もう後半だけど。

 

 

4月といって僕が毎年思い浮かぶのは、

 

やはり

 

入学式、新学期、桜、などなど。

 

 

桜も4月の始め頃に雨がたくさん降ったので、

一気に散ってしまうかと思ったけど、

なんとか入学式まで残っていたようで、

入学式では桜の木の下で

写真を撮っている新入生の家族の姿が

ちらほら見えた。

 

 

僕も入学式の時は桜の木の下や

校門の○〇年度入学式と、

書かれた看板の前で写真を撮った。

 

 

しかし小学校の時の入学式では、

父が写真に関してとんでもないミスを犯した。

 

 

この僕の小学校の入学式という

晴れの舞台を写真に収めるべく、

父はカメラにフィルムを新たに購入し、

しっかり準備万端な状態にしていた。

 

この入学式の時の僕の写真だけではなく、

後日に、僕の入学祝いと、

その年の1月に成人式だった

親戚のお兄さんの成人の祝いを

合同で我が家でパーティーをやった。

 

我が家に親戚が大勢来て、

僕とそのお兄さんのお祝いをやってくれた。

 

その時にも入学式の時に使ったカメラで

フィルムがまだたくさん残っていたので、

それを使い、みんなで写真を撮った。

 

 

 

そして後日、

そのフィルムを現像したときに唖然とした。

 

 

 

 

 

なんと・・・

 

 

 

 

 

 

入学式で撮った僕の晴れの姿の写真と

入学祝いのパーティー

みんなとの写真が・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白黒写真だった・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

なんということ!

 

 

 

父はフィルムを買う時に、

間違って白黒写真のフィルムを

買ってきてしまっていた。

 

 

なんというイージーミス。

 

 

もう30年以上も昔の古い話だけど、

その時ですら

既に平成にはなっていたその当時。

 

さすがにもう白黒写真

などという時代ではない。

 

にもかかわらず、僕の小学校入学式、

そして入学祝いパーティー

色のない大昔の写真のような

白黒写真で残ることになってしまった。

 

 

僕としてはこれが非常に残念で、

これまでにかなりヘコんだ。

 

 

しかしもうやってしまったことは

変えられない。

 

父を責めたところで

状態が変わるわけではないので、

どうしようもないのだが。

 

僕の兄の入学式の写真が、

ちゃんとカラーで残っているのを

見たりすると、

やはり羨ましく思ったりしたものだ。

 

 

でも僕は無理やり考え方を変えた。

 

カラー写真が当たり前の時代に

白黒写真で残っているという

珍しく、特別な写真と思い出を

僕は持っているんだぞ!

 

という思考に無理やり変換し、

他の人にはあまりない思い出写真と

エピソードを持っていると、

逆にポジティブに考えるようにした。

 

だってそのほうが全然気分も違うからね。

伊東のホテル、暖香園に行った少年時代の旅行 その3

 

前回の記事のあらすじ

 

今から25年以上も前の話。

 

静岡県の伊東温泉に旅行に来た僕たち家族。

 

1泊旅行だけど、ワクワクしながら

その日宿泊するホテルに到着。

 

そのホテルは「ホテル暖香園」。

 

なかなかのホテルで、楽しく過ごしながら

あっという間に1日目は終了した。

 

 

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翌朝、母は早くから目が覚めていて、

父は逆に遅くまでいびきをかいて寝ていた。

 

 

僕たち家族は、この日も

ホテルに宿泊した時の定番として、

朝食前に朝風呂に入りに大浴場に向かった。

 

 

 

やはり朝風呂はいい!

 

夜に入るのとはまた違う爽やかさがあるのが

朝風呂のいいところ。

 

これがないと旅行の醍醐味は

なにか物足りなくなると、

当時子供ながらにいつも思っていた。

 

 

 

朝風呂の後は朝食。

 

朝食はレストランでのバイキング形式。

 

僕はこれが嬉しかった。

 

 

僕たち家族は窓際の

外の景色が見える席をゲットし、

さっそく料理を取りに行く。

 

 

料理は朝食によくある料理が

ズラリと並んでいた。

 

 

僕は料理がどんなものかよりも

バイキング形式が嬉しくて、

とにかくどんどん料理を皿に盛った。

 

 

飲み物もジュースやお茶類や牛乳が

飲み放題で、僕は当時いつも食事の時に

飲み物として飲んていた牛乳を選んだ。

 

飲み物もどれも

ジュースディスペンサーに入っていて

透明な容器から中身が見えている光景だけで

飲みたい衝動に駆られてしまう。

 

 

料理は和食と洋食両方のおかずが並んでいて、

兄などはスクランブルエッグやパン、

スパゲッティなど洋風の料理を食べていたが、

僕は以前にホテルサンハトヤに宿泊した時に、

朝食でアジの干物などの

和食の朝食が美味しかった経験があったので、

この日も、ごはん、味噌汁、煮物、

アジの干物、かまぼこ、

などの和食のおかずを選んだ。

 

両親も和食中心の料理を盛っていた。

 

 

 

やはり一番大盛りで食べていたのは母だった。

 

母はこういう時は思いっきり元をとる、

といっていつも張り切って食べていた(笑)

 

 

 

やはり美味しい。

 

バイキングも嬉しいし、

なんといっても旅行に来て

ホテルで朝食を食べている、

と思うだけでテンションが違う。

 

もちろん暖香園の料理が美味しい

というのもあるのだろうけど、

そういった雰囲気と気持ちも

かなり関係しているのだろう。

 

 

最後にデザートのあんみつも食べて大満足。

 

 

 

さて食事が終わると、もうチェックアウトの

準備をし始めないといけないのが

1泊旅行の寂しいところ。

 

 

それでもチェックアウトまで

まだ少し時間があるということで、

もう少しだけゲームコーナで

遊ぶことにした。

 

 

父も母もゲームコーナーに来て、

父とレーシングゲームをやったりして

ギリギリまで楽しんだ。

 

 

 

そして時間が来てチェックアウトをして、

僕たち家族は来た時と同様に

徒歩で伊東駅まで向かった。

 

 

途中屋根付きの商店街の中を歩いたのを

覚えている。

 

 

道中ではお土産屋さんがたくさんあった。

 

 

それにしても温泉饅頭を売っている所が多い。

 

お土産の定番なのだろうか?

 

普通のお饅頭と何が違うんだろう?

と、思いながらも

お土産屋さんで知り合いに渡すお土産を買い、

伊東駅から在来線で熱海駅に向かい、

そこからまた新幹線で東京駅まで向かった。

 

 

これまで何度も書いたけど、

うちはほぼホテルに宿泊する

というのが旅行のメインだったので、

この日も観光はせずにすぐに帰路についた。

 

 

新幹線が東京駅に近づき、

景色がビルばかりになってくると

旅行も終わりに近づいたという

実感が湧いてきて切なくなってくる。

 

 

そして自宅の最寄り駅に到着し、

徒歩で家に向かっている途中、

ちょうどお昼頃だったので、

道中にある父の知り合いが経営する

中華料理屋さんで昼食にすることにした。

 

 

こういうお店での昼食で

僕は最後の最後まで旅行が続いている、

と、ギリギリまで旅行気分を堪能しよう

という気持ちでいた。

 

小学校の遠足でよくあった言葉、

『家に帰るまでが遠足です』のように。

 

 

ちなみにこのお店では

チャーハンが美味しくて有名で、

この日も僕と兄と母はチャーハンを食べた。

 

チャーハンと餃子を食べるのが

いつもこのお店に来た時の

僕のパターンだった。

 

この組み合わせが美味い。

 

正直言ってこのお店の餃子は

そこまで美味しいというわけでは

なかったのだが、

美味しいチャーハンと共に

餃子を食べるのが、

なんだか絶妙な組み合わせで好きだった。

 

 

 

食事を終えるとまた自宅に向かって歩き始め、

ちょうど天気の良い日だったのと、

3月下旬~4月の始め頃の時期だったから

桜がちょうど咲いていて、

とてもさわやかな感じだった。

 

 

 

自宅に到着し、兄の中学卒業祝い

という名目の旅行は終了。

 

 

この旅行までは、ずっと連休がある度に

旅行に行っていた僕たち家族だったが、

兄が高校に進学し、野球部に入ったため、

これ以降旅行に行く暇が兄には無く、

家族旅行は一旦ここで終了という形になった。

 

この次に家族で旅行をしたのは

もう僕も成人後の

20代も後半になる頃だった。

 

だから少年時代の最後の旅行ということで

記憶に残っているこの伊東の

暖香園での旅行。

 

少年時代最後の旅行

ということはいいとして、

とにかく今ではこういう思い出

一つ一つが宝物だと改めて思う。

伊東のホテル、暖香園に行った少年時代の旅行 その2

 

前回の記事のあらすじ

 

今から25年以上も前の話。

春休みに兄の中学卒業祝いと称して

家族旅行に行った。

 

行先は我が家では定番の

静岡県の伊東温泉。

 

観光はあまりしないというのが旅行、

という我が家は、

この時も宿泊するホテルに直行。

 

ホテルに行くまでの道中も楽しんで、

いよいよ宿泊するホテルに到着。

 

そのホテルの名は「ホテル暖香園」

 

 

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ホテルの佇まいはなかなかで

建物も綺麗、大きさもそれなりにあり、

ロビーも綺麗だった。

 

 

さっそくフロントで

チェックインの手続きをする。

 

手続きの際に朝食の時間を訊かれた。

 

なんでも朝食はバイキング形式で、

場所はホテル内のレストランで

7時30分~9時まで営業しているとのこと。

 

 

両親が「じゃあ8時で」と伝えると、

 

「混みあう時間なので、もしかしたら

少しお持ちいただくことになることも

あるかと思います。」

 

とのこと。

 

 

 

そして今日宿泊する部屋まで案内される。

 

途中、お風呂(大浴場)は

24時間やっていると説明され、

3軒隣にボウリング場もあるとの

案内もされた。

 

 

部屋に入ると、いかにも温泉ホテル

というようなシンプルな部屋だった。

 

 

僕と兄はさっそくホテルの中を散策に行った。

 

 

色々見て回ったが、

やはりゲームコーナーに目が行って、

さっそくゲームをやった。

 

ホテル内のゲームコーナーにしては

それなりにゲーム機の台数がある

ゲームコーナーだった。

 

 

そして再び部屋に戻った時に父が

 

「夕食まで時間があるし、

温泉は食事の直前に入るから、

さっき教えてもらった

ボウリング場に行ってみるか」

 

と提案してきた。

 

 

僕ら家族はボウリング場

(ダンコーエンボウル)に向かい、

家族みんなでボウリングを楽しんだ。

 

 

 

ボウリングが終わって、

再びホテルに戻った時には

夕方になっていた。

 

 

それじゃあお風呂に入りに行くか、

と、僕たち家族は大浴場に向かった。

 

 

大浴場もなかなかのもので、

おおむね満足できた。

 

霧(というか湯気)が多かったのが

なんだか印象的だった。

 

 

 

お風呂の後は、夕食。

 

 

夕食はバイキング形式ではないけど、

宿泊の部屋での食事ではない

と聞いていたので

大広間での食事かと思ったが、

案内されたのは個室だった。

 

 

畳みの和風な部屋での食事。

 

料理も和風な感じで、

ホテルでよくあるような料理だった。

 

 

この頃からどんな料理でも

白米が無いとダメな僕は、

白米は後から出されることを聞いて、

その部屋に置いてある内戦電話で、

白米を早く持ってきてもらうように頼んだ。

 

 

家族で兄の『中学卒業おめでとう』、

の乾杯をして、食事を堪能した。

 

 

料理はたくさん出ていたが、

食べるのが大好きな母は、

お酒も飲み、白米も食べながら、

料理をすべて平らげていた。

 

僕もこのホテルならではの料理

(特にチャッカマンで火を付ける

小さな固形燃料での1人用鍋

みたいなあれ)が、旅行に来たという

気分を引き立てて、

それだけで美味しく感じ、そして嬉しかった。

 

 

 

食事が終わると部屋に戻り、

両親は引き続きテレビを観ながら

お酒を飲み続け、僕らは再び

ゲームコーナーに行き、ゲームをして

就寝時間まで遊んだ。

 

 

父はかなり酔っぱらってご機嫌のまま就寝。

 

僕も特に遅くまで起きていることなく

普段の就寝している時間に寝た。

 

 

続く

伊東のホテル、暖香園に行った少年時代の旅行 その1

 

学生の皆さんはもう春休みも終わって、

新入生は入学式も終わり、

学校生活がスタートしたであろう。

 

 

春休みといえば、

うちの家族は昔は春休みにも

毎年のように旅行に行ったものだ。

 

僕や兄の学校の休みに合わせて

父が旅行に連れて行ってくれた。

 

そのことはすでに何度も

記事に書いてきたけれど、

ちょうどこの時期、

というか春休みに行った旅行といえば、

ひとつに伊東に行ったことをまた思い出す。

 

 

伊東には何度も旅行に行った。

 

というのも父があまり遠くに行くのも、

そこまで行くのに

面倒な移動になる場所も嫌がったからだ。

 

その点伊東は父にとっては

行きやすかったのか、何度も行った。

 

 

確かあれは兄の中学校の卒業旅行

と称して行った旅行だった。

 

もうあれから25年以上も経っていると思う、

早いなぁ~

 

 

過去記事にも書いたように、

うちの旅行といえば、

ほぼほぼホテルに泊まりに行くのが旅行。

 

観光はするけど、少しだけというか、

観光のほうが脇役となっているという旅行だ。

 

そしてこの時の旅行で宿泊したホテルは、

 

伊東にある「暖香園」

 

この暖香園は当時は知らなかったが、

けっこう伊東では有名なホテルらしい。

 

 

 

旅行当日、前述の通り、

うちはホテルに泊まりに行くのが

旅行のメインであり、観光は少な目、

もしくはまったくしない時もある。

 

この時も観光はほぼ無しの予定だったので、

朝も遅めの出発。

 

昼前からの出発で充分ということで、

午前中は家でのんびりとしていた。

 

すると10時頃に僕の仲の良かった友達

U君が遊びに来た。

 

これから旅行に行くという日だったが、

まだ時間は少しあるし、

せっかく訪ねて来てくれたのだから、

と、少し家の中で遊ぶ事にした。

 

U君と一緒にゲームをしたりして少し遊んだ。

 

 

その後出発の時間になり、

U君に事情を説明して帰ってもらい、

いよいよ旅行に出発。

 

 

今回も伊東まで電車での移動。

 

まず自宅からは最寄り駅まで

徒歩で行くのだけれど、

もう昼近い時間だったので、

駅近くの我が家の行きつけの

立ち食い蕎麦屋さんで昼食を食べよう

と父が言い出した。

 

父は麺類が大好きで、こういう外出時には

これまでも特に麺類を食べていた。

 

それに夜はせっかくホテルで

料理が出るのだから、

お昼は軽めにしておこう

という目的もあった。

 

 

僕ら家族は駅前の立ち食い蕎麦屋

蕎麦を食べて、少し物足りないけど、

夕食の事を考えれば

今日はそのくらいでちょうどいい

ということで、そこで食事を終えた。

 

ちなみにこの立ち食い蕎麦屋さんは、

以前、母の母である祖母が働いていたお店で、

お蕎麦はとても美味しくて、

おつゆも出汁から本格的に作る

とても美味しいおつゆで

蕎麦も美味しかった。

 

だから父も僕らも家族全員

このお店のことは気に入っていた。

 

 

昼食を済ませると、電車に乗り、

東京駅に向かう。

 

そして東京駅から新幹線に乗り、

熱海に向かう。

 

 

この新幹線の移動がまた楽しみ。

 

 

大好きな新幹線の発着メロディを聴いて

テンション上げながら、

暖香園ってどんなホテルなんだろう・・

とワクワクしながら想像を膨らませる。

 

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窓の外の景色がだんだん

ビルから畑や田んぼ、

山などが多く見えるようになってくると、

いよいよ旅に来た

という雰囲気が高まってくる。

 

 

熱海に到着し、

在来線に乗り換えて伊東に向かう。

 

このへんは何度も来ていると

もう慣れたものだ。

 

 

在来線に乗ると、春休み期間のせいか、

車内はけっこう混みあっていた。

 

 

伊東駅に着くと、今日宿泊のホテルが

駅から割と近いということで、

徒歩でホテルに向かう。

 

道中でお土産屋さんがたくさんあって、

浴衣姿のお客さんもちらほらいた。

 

あちこちのホテルの宿泊客が

外出してお土産を買いに来ているのだろう。

 

 

そして到着、ホテル暖香園

 

 

なかなかいい佇まいだ。

 

 

 

続く

小中高の卒業式の日の昼飯の思い出

 

卒業シーズン。

 

先週、僕の母校である中学校の卒業式が

行われていたようだ。

 

その日はほぼ1日中雨だったので、

コロナ渦に加え、

気の毒だと思わざるをえなかった。

 

 

そういえば、僕の小学校の卒業式と

中学校の卒業式も

どんより曇った天気で、

時折雨がパラついていたなぁ。

 

 

卒業式も覚えているけど、

僕は卒業式の日の昼飯が

なんとなく記憶に残っている。

 

 

小学校、中学校、高校と、

それぞれの卒業式の日の昼食だ。

 

 

 

小学校の時の卒業式の日は、

学校でお祝いのお弁当をもらった。

 

お弁当といっても普段食べる

ほっともっとオリジン弁当とかではなく、

お祝いの折箱に入った和風なお弁当だ。

 

 

卒業式が終わって家に帰った時に

ちょうどお昼時だったので、

ちょうどいいや、と思って

そのお弁当を昼食に食べたのを思い出す。

 

 

ちなみにお祝いということで

ご飯の部分はお赤飯が入っていた。

 

 

 

中学校の時の卒業式の日は、

ちょっと昼食が記憶にないけど、

その日は午後から

クラスメイト達と先生で、

とある同級生の親が経営している

お好み焼き屋さんで

卒業パーティーをやった。

 

この日の昼飯が思い出せないけど、

もしかしたらこの

お好み焼きパーティーがあったから

昼食は食べなかったのかもしれない。

 

 

ともあれこのパーティー自体、

僕はあまり参加したくなかったけど、

まあいいや、これが最後だし、

と思って参加した。

 

 

参加者はクラスの生徒全員ではなく、

3分の2くらいだった。

 

なんとか仲の良かったクラスメイトが

一人参加者の中にいたから、

その彼と一緒のテーブルについたのだが、

その彼は用事があって

途中で帰る予定らしいのだ。

 

僕はその後どうしようかと

不安になっていると、

案の定、彼が帰った後は、

僕に話しかけてくる人もいなかったし、

僕が話しかけても

いまいちそっけない返事しか返ってこない、

という微妙な感じだった。

 

さらに2次会でカラオケに行く

という幹事からの発表があり、

「冗談じゃない!」

と思った僕は、1次会終了とともに

そそくさと帰宅した。

 

中学校最後のクラスメイトとの

交流イベントだったが、

もうそんなのは関係なく、

早く帰りたかった。

 

 

 

そして高校の時の卒業式の日の飯は、

ちょうど父が仕事が休みで家にいた。

 

父は、学校の行事は、

母親が行けない事情がある家庭は

ともかくとして、そうでなければ

父親が学校行事に行くものではない、

という考えの人で、

この日も、仕事が休みの日ながら、

僕の卒業式には来なかった。

 

僕と母は、午前中卒業式に参列し、

母はそのまま保護者達の

謝恩会に参加のため、家には帰らず、

帰宅した僕と父の2人で家にいたところ、

ちょうどお昼になり、父が、

 

「今日は母ちゃんいないし、

どこかそのへんで飯でも食いに行くか」

 

と切り出した。

 

といっても昼飯なので、

遠くに行くのも面倒なので、

自宅近所の中華料理屋さんに

僕と父は自転車で行く事にした。

 

 

そのお店で僕はチャーハンを注文し、

父は焼きそばビールを注文し、

餃子も2人前注文して

父と半分ずつ餃子を食べた。

 

 

ここのチャーハンはけっこう美味しくて

僕は好きだった。

 

具材のチャーシューがまた

香ばしくてたまらなかった。

 

ちょっと油が多くて、食べ終わる頃には

皿に油が溜まるくらいの油の量だったが、

この頃の若い僕には

あまりしつこさを感じることなく

美味しく食べられた。

 

 

と、まあこんな感じで

それぞれの卒業式の日の昼飯は

印象に残っている。

 

それがなんだ?

と言われてしまいそうだけど、

僕はなぜだかいまでも覚えている。

 

なんだかわからないけど、

僕の中では意外と印象に残るような出来事

だったのだろうか?

 

いまだにあの日のことが

鮮明に浮かんで来ることもしばしばだ。

 

中学の時の合唱コンクールの思い出

 

あっという間に卒業シーズンの季節になった。

 

 

この卒業シーズンでは、

色々な思い出があるけれど、中学の時には

合唱コンクールというのが毎年あったなぁ。

 

全校で、各クラス、課題曲と自由曲の

2曲を歌うというもので、

それで先生方の採点や

別学年の生徒の審査員が判定して

学年ごとに順位を決めるというもの。

 

 

だいたい毎年3月の初旬頃に

行われていたけど、

本番までに練習が何度もあって、

何回歌わされたかわからない。

 

生徒は練習の時も

ただ歌っていた(こなしていた)

だけなので、正直それで

上手くなったのかは疑問だけど、

とにかく練習はたくさんやらされた。

 

 

僕は1年生の時と2年生の時と

3年生の時で、

それぞれ思い出は記憶に残っている。

 

思い出といっても

そんなにいい思い出として

残っているわけではないけれど。

 

 

1年生の時は、

ピアノを担当していた女の子が、

本番近くなったある日に体調を崩し、

何日間も学校を休んでいた。

 

本番もその子が不在だった場合、

急遽誰かが代わりに

ピアノを担当しないといけないのだが、

ギリギリのところで彼女は復帰し、

なんとか本番に間に合った。

 

しかし、いざ本番が始まると、

ずっと休んでいて感覚が鈍っていたのか、

最初の歌の出だしのところの演奏でミスって、

みんな歌い出しがバラバラになってしまった。

 

それが尾をひいたのかは不明だが、

僕らのクラスは最下位になってしまった。

 

 

ピアノを演奏していたその子は泣いていた。

 

もちろん誰も彼女を責める人はいなかったし、

僕も別に彼女を責める気は

さらさらなかったのだが、

彼女自身は責任を感じたのか、

ずっと泣いていた。

 

これが1年生の時の合唱コンクールの思い出。

 

 

 

2年生時は、

ちょうどいじめられていた時だったので、

その時期自体が嫌な思い出だけど、

合唱コンクールの練習の時は、

いつも

「お前、ちゃんと声出してんのかよ!」と、

いつも僕をいじめていたNに言われていた。

 

僕はもちろんそんな事言われないように

しっかりと声を出して歌っていた。

 

でもいつもいつも言われる、それが嫌だった。

 

だから2年生の時の合唱コンクール

あまり思い出したくない。

 

3年生の時の合唱コンクールでは、

課題曲で「大地讃頌」を歌ったのだが、

普段の練習の時から、

反抗して歌わない生徒が数人いたのだ。

 

3年生ともなると、生徒の中には、

そういった反発した生徒もけっこういるのだ。

 

多分本人達はそういうのが格好いいと

思っていたのだろうが、

いつも練習の時もまったく歌わず、

ムスっとして突っ立っているだけ。

 

 

この歌は女子がソプラノ、アルト、を担当し、

男子がテノール、バス、を担当するのだが、

男子のバスのグループに

たまたまそういった

反抗して歌わない生徒が多かったため、

バスの部分がいつも欠けているような状態で

練習していた。

 

先生が注意しても、もちろん聞かず、

こんな調子で本番を迎えたら

最下位確定なのは目に見えていて困っていた。

 

 

 

そして本番の日。

 

やはりそういった生徒達は、

本番も歌おうとせず、

口も開けようともしなかったため、

急遽テノールの生徒数人が

バスの部分を歌うということで、

なんとか形になった。

 

しかしなんとか形になっただけで、

仕上がりとしては当然最低だった。

 

もちろんそれが原因だと思うが、

僕のクラスは最下位に終わった。

 

これが3年生の時の

合唱コンクールの思い出だ。

 

あれからかなりの時が流れたが、

その生徒達は今、その当時の事を

どう思っているのだろうか?

 

今頃悔いが残って

後悔しているのではないだろうか。

 

僕も合唱コンクール

その当時から好きではなかったが、

一生懸命歌った。

 

今ではそれでよかったと思っている。

 

あの時、僕も格好つけて

ボイコットのように歌わないでいたら、

たぶん今頃になって

後悔していただろうと思う。

 

その当時はそれが格好いいと

思ったかもしれないけど、

この年齢になると、

そんなことしないで

一生懸命歌ってよかったと思っている。

 

あの時、微力ながら全力を尽くしたからこそ、

悔いが残らずに済んだ。

 

それは自分の中で

今でも間違ってないと言える。